功利主義
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功利主義(こうりしゅぎ、英語 Utilitarianism)は、善悪は社会全体の効用(英:utility)あるいは功利(功利性、公益)・機能(有用性)によって決定されるとする基本的に倫理学上の立場であり、それは法学や政治学でも応用される。 倫理学説としては私利のみを計る利己主義(エゴイズム、Egoism)とは異なる。現在でも、近代経済学は、基本的にこの立場にあると考えられる。そこでは消費者ないし家計は効用の最大化をもとめる部門とみなされる。また基数的効用と序数的効用が区別される。
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[編集] 功利主義の歴史
功利主義はヒュームの思想にもみられるが、立法の原理・法学の基礎として最大多数の最大幸福を置くという着想はベッカリア、エルヴェシウスを経てベンサムにおいて体系として初めて結実した。
功利主義においては幸福は数量で表すことができると仮定される。 ベンサムは快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする量的快楽主義を考えたが、J.S.ミルは快苦には単なる量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えた(が、快楽計算は放棄しなかった)。 また、J.S.ミルからシジウィックに至る過程で功利主義は立法的・法学的要素を失い、道徳・倫理学の理論としての色彩を強めていく。
20世紀には快楽計算を放棄した選好功利主義が登場した。 ヘアやシンガーがその代表と目される。
功利主義を基本理念とした政治思想に、リバタリアニズムがある。アメリカにおいて幾分保守的・伝統的政治姿勢とされるが、保守からは革新的政治姿勢と見なされてもいる。「国家こそ盗人」であり、反国家・市場(経済)偏重を旨とする特徴的な思想を展開する者もいる。ときにグローバリズムと態度が共通するが、リバタリアニズムは税金の浪費につながると戦争を否定する点にみられるようにグローバリズムとは異なる。
[編集] 功利主義の分類
最大多数の最大幸福が功利主義のスローガンであるが、この幸福を快楽と苦痛との差し引きの総計とするか選好の充足とするかで、快楽主義型(幸福主義型)功利主義と選好充足型功利主義(選好功利主義)とに分かれる。 また、最大幸福原理を個々の行為の正しさの基準とするか一般的な行為規則の正しさの規準とするかで、行為功利主義と規則功利主義に分類される。
[編集] 功利主義と利己主義の差異
日常的には功利主義と利己主義はあまり区別されないが、倫理学においては功利主義は「万人の利益」となることを善とする立場を指し、「私利」のみを図ることをよしとする利己主義とは異なるとする。
[編集] 行為功利主義と規則功利主義
両者は功利原理(利益=善)の対象が異なる。前者は行為が利益をもたらすか(「それをすれば利益があるか?」)を基準にし、後者は「規則」(「皆がそれに従えば利益があるか?」)を基準にする。例えば「貧しい人が子供のために食べ物を盗む」のは行為功利主義では子供が助かるからかまわないとし、規則功利主義では「子供のためなら食べ物を盗んでもよい」という規則があれば窃盗が横行して治安が悪くなるからいけない、とする。
[編集] 量的功利主義と質的功利主義
量的功利主義とは異なり、質的快楽主義では快楽の種類による質的な区分を求める立場を取る。後者の代表者であるJ.S.ミルの「満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい」という言葉は、たとえば登山の際、身体が苦痛を感じても、精神は張り合い(喜び)を感じるように、快楽を「精神の快楽」と「肉体の快楽」に区分した言葉であり、質的に異なる両者は足し引きすることはできない。
[編集] 代表的な論者
提唱者であるベンサムや彼の友人であり、熱心な支持者でもあったジェームズ・ミル。またジェームズの長男であるJ.S.ミルはベンサム的功利主義を一歩押し進め、『功利主義』(1861年)を著わした。後にはジョンらの熱心な支持者でもあったシジウィックらが古典的功利主義者として数えられる。
現代においては、R.M.ヘア、ピーター・シンガー、R.B.ブラントなどが知られている。
[編集] 対抗理論
功利主義への反駁、攻撃は多方面からなされている。 政治学の場面ではロールズやロバート・ノージックら社会契約論の系列からの批判がある。 また、倫理学の場面では義務論や徳倫理学が功利主義とならぶ有力な説である。
[編集] 関連項目
- パレート最適
- ナッシュ均衡
- プラグマティズム
- サバイバルロッタリー
- ジェレミ・ベンサム
- ジョン・スチュアート・ミル
- ヘンリー・シジウィック
- ヘア
- 選好功利主義
- 効用