写本
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写本(しゃほん)とは、印刷された本(書物)に対して、手書きで書き写された本、文書のこと。または本を手書きで書き写すことである。あるいは原本(オリジナル)である正本(しょうほん・せいほん)に対し、それを書き写したものを指すこともある。
洋の東西を問わず、木版印刷や活版印刷術が広く普及するまで、本は書き写すものであった。中世ヨーロッパにおいて写本はキリスト教の修道院を中心に行われ、「写字生」によって組織的に写本が作られた。当時の写本の中にはしばしば壮麗な挿絵がつけられ(挿図参照)、美術品としても価値を持つものがある。
中国・日本では、古くから仏典の木版印刷が行われていたが、本の流通は写本が中心であった(中国では北宋代より仏典を代表として木版印刷の時代に入った)。仏典の場合は、今日でも信徒の修行の一環として写経されることがある。
写本では、筆写の過程で誤読、誤字脱字、付け加えなどが生じるのが通例である。複数の写本を相互比較することで、それらの写本がどのように伝わっていったか、系統立てて考察をすることも可能になる。
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[編集] ヨーロッパの写本
[編集] 古代ギリシャ
- アレクサンドリア図書館
- 紀元前3世紀に創設されたアレクサンドリア図書館では組織的な文献収集、写本作成が行われていた。写本は写字生がパピルスに書いたもので蔵書数は70万巻ともいわれるが、争乱や略奪のため散逸してしまった。当時の書物の一部には、後世写本されて残されたものもある。(例『気体装置(Pneumatika)』ヘロンの著書を16世紀(1583年)に筆写したもの、ローマ国立図書館蔵)
[編集] ユダヤ教・初期キリスト教
- 死海写本(死海文書とも)
- エジプトの遺跡から発掘された古代の記録。プラトンや新約聖書外典関係の資料が含まれていた。
- エジプトで発見された。グノーシス主義の文献が主である。
- 新約聖書のギリシア語写本
- 新約聖書の写本はパピルス・大文字写本・小文字写本に分類される(詳しくは新約聖書の項を参照)。
- パピルスはその名のとおりパピルスに筆写されたもので、2世紀頃からのものが現存する。最も古い写本層に属し、本文の古い形を知る上で極めて重要であるが、大きなものでも25センチ×20センチ程度の断片である。大英博物館所蔵のチェスター・ビーティ・パピルスなどが知られる。
- 大文字写本は、羊皮紙に大文字(ギリシア語)で写したもの。4世紀以降のもので、新約聖書の大部分を一冊の本にしたものも現存している。なかでもシナイ写本やバチカン図書館所蔵のヴァティカン写本、大英博物館所蔵のアレクサンドリア写本などが知られている。
- 小文字写本は、羊皮紙に小文字(ギリシア語)で写したもの。小文字成立後のものであり、聖書学上の重要性はいささか劣る。現存するギリシア語写本の多くは小活字である。
[編集] 中世キリスト教文化
- 装飾写本(彩飾写本)
- 中世においては、写本に文字だけでなくしばしば優美な装飾画が描かれた。その中には特別注文で芸術品としても鑑賞できるものが作られ、非常に高価なものであった。現在では切り離されて1枚毎に美術品として扱われているものも、まま見られる。写本における挿絵(細密画)をミニアチュールと言うが、この名前は使用される顔料、ミニウム(朱、鉛丹)からとられたものである。そして、テンペラ技法を使って描かれていた。
- ケルトの写本
- 都市の写本工房
- ベリー公のいとも豪華なる時祷書
- 装飾写本中、特に有名なものはフランスで制作された「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」である(中央公論社から『ベリー侯の豪華時祷書』として大型本で刊行)。多くの写本を集めたベリー公ジャン1世(1340年-1416年)の依頼で15世紀始めに制作が始まったが、ベリー公がペストで死去したため一時中断し、15世紀の終わりに完成した。シャンティイー城図書館に所蔵されている。
[編集] ルネサンス以降
- ルネサンスの時代になり活版印刷が行われるようになってからも、都市の工房では装飾をほどこした写本が作られ、高値で取引きされている。
[編集] 中国の写本
- 中国の敦煌で発見された仏典などの資料である。
[編集] 日本の写本
- 法華義疏
- 古典の写本
- 藤原定家による写本(定家本)
- 藤原定家は、晩年、数多くの写本を行い、『定家本』として高い評価を受けている。ただ転写するのでなく、解釈を加えて意味がとおるように本文を整定し、証本として作製されているため、定家による写本は、他の人物の写本より意味が分かりやすいものになっている。その違いは、紀貫之の土佐日記において、そのまま書写された藤原為家の写本との比較で知ることができる。
- 近世以降
- 浮世絵類考
- 福沢諭吉のエピソード
- 福沢諭吉の『福翁自伝』には幕末の適塾でオランダ語を学んでいた頃の写本についてのエピソードが書かれている。テキストは1冊のみで塾生がすべて書き写さなければならない。辞書(ズーフ・ハルマ)も写本が1冊あるのみで大勢で使う。大名からズーフ・ハルマの写本の依頼が来ることがあり、塾生のいいアルバイトになっていた等。
[編集] 拡大写本
印刷技術の発達した現代でも写本は作られている。その一つは弱視者のために作られる「拡大写本」である。特に通常の教科書では学習困難な児童・生徒のために、ボランティアが手書きで(あるいはワープロで)文字や図表を大きく書いて作る。一人一人の視力に応じて作るのが望ましいとされ、一品生産になる。