アレクサンドリア図書館
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アレクサンドリア図書館(アレクサンドリアとしょかん)は、紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。
世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも云われている。図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵し、その蔵書はおよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られる。薬草園が併設されていた。
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[編集] 略史
アレクサンドリアのあるナイル川のデルタ地域は、かつては「ラコティス(ラホティス)」と呼ばれるささやかな漁村に過ぎなかった。しかし、紀元前330年頃、マケドニアのアレクサンドロス大王がエジプトの王朝を滅ぼして大帝国を創り上げ、首都移転先としてその地域を選んだことで、この地は大きく変貌した。紀元前323年、アレクサンドロス大王がアラビア遠征の途で病死し、大王からエジプトを引き継いだプトレマイオス1世はファラオを名乗ってプトレマイオス朝を建てた。そして、大王の遺志を引き継いで当地を「アレクサンドリア」と改め、街造りを押し進めた。
アレクサンドリアには、古代世界の学問の中心として栄えた図書館をはじめとして、学術研究所ムセイオンや、のちに「世界の七不思議」にも選ばれるファロス島の大灯台も建造され、紀元前320年には既に首都としての威容を誇るようになった。とくに図書館は世界中から文学、地理学、数学、天文学、医学などあらゆる分野の書物を集め、ヘレニズム文化における学術研究にも大きな役割を果たした。
この図書館で研究され発表された知識は、その後の西洋科学の誕生にも大きく貢献した。たとえばアルキメデスもアレクサンドリア図書館に留学していた。幾何学を大成したエウクレイデス、地球の直径を計測したエラトステネス、天動説の集大成『アルマゲスト』を著し、千数百年にわたってヨーロッパに影響を持ち続けたプトレマイオスら、古代における学芸の巨人もこの図書館で研究していたのである。
アレクサンドリア図書館は、書物の収集のためには手段を選ばず、そのためには万金が費やされていた。例えば図書館は写字生を多数抱えており、組織的に写本を作っていた。当時はまだ印刷技術がなかったため、その蔵書は、ナイル川のデルタで栽培されていたパピルスを原料としたパピルス紙に手書きされた巻物が中心であった。アレクサンドリアに入港した船の荷物に書物があれば没収し、写本を作成して原本は図書館に、写本は元の持ち主のもとに戻す、などという手段すら取られていた。多額の担保金をかけてよその市から貴重な文献を借りた時には、原本を返さずに写本を戻し、莫大な違約金を支払ったという逸話もある。
しかしその後、火災によって図書館の莫大な蔵書のほとんどは、併設されていた薬草園共々灰燼に帰してしまった。そして後世の略奪や侵略による度重なる破壊で、やがて建物自体も失われた。こうして大図書館は歴史の表舞台から退場していった。アレクサンドリア図書館が火災に遭った原因については諸説がある。最も有力な説はキリスト教徒による焼き討ちであるが、ユリウス・カエサルの放火という説もある。
[編集] 新アレクサンドリア図書館
2001年8月1日、かつてのアレクサンドリア図書館を継ぐ大図書館として、ユネスコとエジプト政府が共同で一大図書館兼文化センターを建設した。アレクサンドリア市北部のかつて図書館があったとされる場所に建てられており、コンピュータネットワークを利用して地中海文明に関する文献を収集する方針である。
詳細は新アレクサンドリア図書館の項を参照。