ベリー公のいとも豪華なる時祷書
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ベリー公のいとも豪華なる時祷書( ベリーこうのいともごうかなるじとうしょ Les Très Riches Heures du Duc de Berry)は中世フランスのベリー公が作らせた華麗な装飾写本(英illuminated manuscript)。
多くの写本を集めたベリー公ジャン1世(1340年-1416年)の依頼で15世紀始めにランブール兄弟によって制作が始まったが、ペストでベリー公とランブール兄弟が死去したため一時中断し、15世紀の終わりになって完成した。シャンティイー城図書館に所蔵されている(非公開)。
時祈書とはキリスト教徒が用いる聖務日課書で、祈祷文、賛歌、暦などからなる。私的なものであり、各人が趣向をこらして作成することがあった。中でも「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は国際ゴシックの傑作でもあり、最も豪華な装飾写本として評価が高い。
ほかに「ベリー公の美わしき時祷書」(Les Belles Heures du Duc de Berry)というのもあり、この方が早く(1413年前)制作され、ランブール兄弟が完成させている。
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[編集] 歴代所有者
この時祷書はベリー公ジャン1世の死後第五代サヴォイア公爵カルロ1世 (サヴォイア公)に継承され、ブルゴーニュ出身の職人ジャン・コロンベの手で1485年頃に完成したと考えられている。さらに第八代サヴォイア公フィリベルト2世が1504年に没すると、彼の妻オーストリアのマーガレットがこれを相続する(サヴォイア公爵位はフィリベルト2世の異母弟カルロ3世が継承)。
しかしこの後、時祷書の行方はしばらく判らなくなる。次に時祷書が姿を現した時には、ジェノヴァの銀行家でありセストおよびベネフロ侯爵、そしてロス・バルバセス侯爵でもあるスピノラ家の所有物であった。何故スピノラ家がこの時祷書を所有していたのかは定かではない。一説によれば17世紀初頭のスピノラ家当主アンブロジオ・スピノラがフランドルからラ・ロシェル、マドリードを経てマントヴァ公爵領継承戦争へと転戦する中で入手したとも言われるが、アンブロジオの代にスピノラ家はスペイン・ハプスブルク家の戦費不払いによって破産を経験しており、このような高価な品の入手が可能であったかどうかは意見が別れるところである。
ともかくこの時祷書はスピノラ家からフランス王ルイ・フィリップの四男でオーマール公爵のアンリに売却される。既に時代は19世紀前半である。それからしばらくはシャンティ城に所蔵されていたが、1897年にはオーマール公爵家からフランス学士院に寄贈され、フランス国家の所有となって現在に至る。
[編集] 関連項目
[編集] 書籍
- 『ベリー侯の豪華時祷書』(中央公論社)大型本 ISBN 4120017443
- (参考)『ベリー公のいとも美しき時祷書』(岩波書店)大型本 ISBN 4000082256