光山英和
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光山 英和(みつやま ひでかず 1965年11月20日-)は大阪府大阪市出身。昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)の元プロ野球選手、野球解説者。現役時代の守備位置は捕手。右投げ右打ち。
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[編集] 来歴・人物
高校時代は野球の名門校として知られる上宮高校で甲子園選抜大会に出場した。1983年ドラフト4位で近鉄バファローズに指名され翌1984年に入団。数年間は2軍生活が続いていたが、3年目の1986年からは正捕手梨田昌孝が衰えを隠しきれなくなったこともあり、山下和彦や古久保健二と共に一軍に帯同することが多くなった。1989年は序盤ケガで出遅れていたが、終盤に復帰しリーグ優勝に貢献した。日本シリーズでも先発マスクを被り、攻守に渡り活躍した。3連勝と王手をかけながら次の試合から4連敗し日本一を逃した。
1990年には同年入団した野茂英雄専用の捕手として起用され古久保との併用も有ったが正捕手の座を獲得。打撃面でも本塁打を2桁放ち勝負強さを発揮した。それ以降も100㎏の巨体から繰り出される豪快なバッティングを見せ正捕手を保っていたが、1995年1月に野茂がMLB挑戦のため退団。すると的山哲也ら若手の成長もあり出場機会が減少した。
1997年開幕直前に中日ドラゴンズに移籍。当時の中日には中村武志、鈴木郁洋などの捕手がいたため1軍から声が掛かることがほとんどなく、結果を残すことが出来なかった。1999年途中、吉原孝介捕手との交換トレードで捕手不足で悩んでいた読売ジャイアンツに移籍した。移籍後すぐに出場した試合で攻守にわたり活躍し、怪我で戦列を離れていた正捕手村田真一の穴を埋め序盤低迷していたチームを最終的には2位まで上げた原動力となった。しかし翌2000年はベテラン杉山直輝や若手の村田善則ら他の捕手陣が好調だったため1度も一軍に上がることなく戦力外通告を受けた。
近鉄、巨人時代のチームメートで親友でもある石井浩郎の紹介で2001年には千葉ロッテマリーンズに入団。しかし1年で解雇されオフにメキシカンリーグにも参加した。2002年は石井の在籍する横浜ベイスターズにテスト入団。3番手の捕手として期待されたが戦力外となり2002年シーズン終了後に一度は現役を引退した。
しかし野球への未練を捨てきれず2003年には「金英和」(キム・ヨンファ、김영화)の登録名で韓国球界に挑戦しロッテ・ジャイアンツに在籍した。2004年からは衛星放送GAORAで放送されている「なまら! 北海道日本ハムファイターズ中継」の解説者、NOMO Baseball Clubのコーチを務めている。
[編集] 日本球界での年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1984年 | 近 鉄 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1985年 | 近 鉄 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1986年 | 近 鉄 | 43 | .283 | 46 | 13 | 0 | 1 | 0 |
1987年 | 近 鉄 | 23 | .222 | 18 | 4 | 1 | 2 | 0 |
1988年 | 近 鉄 | 22 | .069 | 29 | 2 | 0 | 1 | 0 |
1989年 | 近 鉄 | 14 | .333 | 12 | 4 | 0 | 0 | 0 |
1990年 | 近 鉄 | 87 | .301 | 206 | 62 | 12 | 33 | 1 |
1991年 | 近 鉄 | 74 | .207 | 135 | 28 | 3 | 9 | 1 |
1992年 | 近 鉄 | 74 | .267 | 161 | 43 | 8 | 22 | 1 |
1993年 | 近 鉄 | 86 | .263 | 217 | 57 | 9 | 20 | 1 |
1994年 | 近 鉄 | 89 | .243 | 206 | 50 | 5 | 20 | 0 |
1995年 | 近 鉄 | 62 | .200 | 105 | 21 | 2 | 11 | 0 |
1996年 | 近 鉄 | 60 | .241 | 141 | 34 | 2 | 15 | 4 |
1997年 | 近 鉄 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997年 | 中 日 | 25 | .118 | 34 | 4 | 0 | 0 | 2 |
1998年 | 中 日 | 15 | .143 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 |
1999年 | 中 日 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999年 | 巨 人 | 38 | .115 | 61 | 7 | 0 | 0 | 0 |
2000年 | 巨 人 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2001年 | ロッテ | 6 | .200 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 |
2002年 | 横 浜 | 8 | .000 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 |
通 算 | 726 | .238 | 1393 | 332 | 42 | 136 | 8 |
[編集] 韓国球界での年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
2003年 | 韓国ロッテ | 7 | .111 | 9 | 1 | 1 | 1 | 0 |
通 算 | 7 | .111 | 9 | 1 | 1 | 1 | 0 |
[編集] 背番号
- 56 (1984年~1989年)
- 44 (1990年~1997年途中、1998年~1999年途中、2002年)
- 17 (1997年途中)※本来投手の番号とされているためかシーズン終了後に変更
- 39 (1999年途中~2000年)
- 60 (2001年)
[編集] エピソード
1999年5月17日に吉原孝介との交換トレードで巨人に移籍。すぐに一軍登録され翌18日のヤクルト戦から先発マスクを被った。突然の移籍ではあったがマスクや防具はすぐに準備が出来た。しかし、頭が大きすぎてサイズに合う既製のヘルメットが無く、ヘルメットの作成に時間を要することとなった。その為、数試合の間は当時巨人で光山と同じ位頭が大きかった広澤克実のヘルメットを借りて被り打席に立った。