ロッテ・ジャイアンツ
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ロッテ・ジャイアンツ | |
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各種表記 | |
ハングル: | 롯데 자이언츠 |
漢字: | - |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
ロッテ=ジャイオンツ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語: | Lotte Giants |
チーム名 | ロッテジャイアンツ |
加盟団体 | 韓国野球委員会 |
創設年度 | 1982年 |
チーム名の遍歴 | ロッテジャイアンツ(1982年~) |
縁故地 | 釜山広域市 |
本拠地 | 社稷野球場 |
収容人員 | 30,133人 |
オーナー | 辛格浩(シン・ギョッコ、日本名:重光武雄、ロッテグループ会長) |
親会社 | ロッテグループ |
監督 | 姜秉徹(カン・ビョンチョル) |
タイトル | 優勝2回 |
(優勝年度) | 1984年、1992年 |
シリーズ出場 | 4回 - 2勝2敗(太字は勝利した年) 1984、1992、1995、1999 |
プレーオフ | 3回 - 3勝0敗(太字は勝利した年) 1992、1995、1999 |
準プレーオフ | 3回 - 1勝2敗(太字は勝利した年) 1991、1992、2000 |
Aクラス | 8回 - 1984、1985、1987、1988、1991~92、1995、1999 |
Bクラス | 17回 - 1982~83、1986、1989~90、1993~94、1996~98、2000~06 |
ロッテ・ジャイアンツは大韓民国のプロ野球チーム。縁故地(ホームタウン)は釜山広域市。本拠地は同市内の社稷(サジク)球場。親会社はロッテグループ。
日米ともに強豪であるジャイアンツにあやかって命名するも(もともとオーナーが読売ジャイアンツへの憧れを抱いていたからとも言われる)、あまり強豪とはいえない。いままでの球団の成り行きはいわゆる暗黒時代の阪神タイガースに近く、第2の都市を本拠地として独占して熱狂的なファンの声援を背に負いながらも球団経営陣の低コスト主義で低迷が続き、たまにポストシーズン進出の兆しが見えたり、シーズン序盤善戦したりしたら凄まじいフィーバーを見せるが、すぐ息切れてファンの期待を裏切るパターンを繰り返すのも当時の阪神に似ている。
しかし、本拠地釜山の市民は韓国の首都であるソウルに対する対抗意識は日本の関西地方のほどではなく、ロッテのファンが憎んでいる球団は、ソウル本拠のLGや斗山よりも、いままでロッテをカモとして虐めてきた同じ慶尚道地域の三星ライオンズの方である。これが阪神タイガースとの違いと言える。
2000年以降長い間、球団は低迷しているが、ファンのポストシーズンへの願望は未だ衰えてなく、ファンの間では「(プレイオフが行われる)秋にも野球をしよう」というのが非公式的なチームのスローガンとして定着しており、「優勝はともかく、(準プレイオフ進出が可能な)4位さえすれば毎試合社稷球場を満員にさせてやる」とまで言っている。実際、チームが好調だった1990年代前半は韓国プロ野球初の年間観客動員100万人突破を達成する快挙もあげた。しかし、球団側からは未だチーム復活のそぶりを見せないため、本拠地のファンは「神はなぜ釜山に最高のファンと最悪のチームを同時にもたらしたのか」と嘆いたりもする。
21世紀になってから4年連続で最下位だったが、2005年は最下位を脱出、5位に浮上。2006年はチームを2度の韓国シリーズ優勝に導いた姜秉徹監督を復帰させ、上位進出を図ったが7位に終わった。元オリックス・ブルーウェーブのロベルト・ペレスが2003年から2005年まで在籍していた。
なお、ペットマークは千葉ロッテマリーンズのロゴを一部変更(CHIBA→BUSAN、MARINES→GIANTS)しそのまま使っているほか、千葉ロッテのチームマスコット「ズーちゃん」によく似たチームマスコットキャラクターを使用している。2006年、千葉ロッテを自由契約となったユウゴー(本名:天野勇剛)こと在韓日本人・金勇剛(キム・ヨンガン、김용강)が移籍したが、1軍出場のないままシーズン中に退団。また、2003年には石井丈裕が投手コーチ、2006年は柳田聖人が作戦コーチとして在籍。
なお、2006年時点では三星ライオンズとともに、KBO発足時から名称変更を行っていないチームである。韓国プロ野球の創設メンバーの中では唯一、レギュラシーズン1位の経験がなく、2度の優勝はレギュラーシーズンでは、4位、3位にあたる成績ながら、1位のチームを韓国シリーズ倒して成し遂げたのである。
- 発足:1982年
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[編集] 関連項目
[編集] 主な在籍選手
- 孫敏漢(ソン・ミンハン)ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の米国戦で先発、メジャーの好打者が揃っていたアメリカの打線を相手に1失点で勝利投手になり、2次リーグ1位通過に貢献。
- 鄭守根(チョン・スゥグン)
- 盧長震(ノ・ジャンジン)剛速球を放る抑え投手であるが、私生活でトラブルが多く所属チームの悩みの種にもなっている。
三星ライオンズ在籍時、韓国シリーズ出場をかけたプレーオフ最終戦でロッテのフェリックス・ホセから同点アーチを被弾、「大邱の大乱闘」(試合の流れを変えられる一打で逆転への不安を感じて暴徒化した観客とロッテの選手が乱闘を起こした事件)を引き起こした原因となる。
この乱闘劇は鎮圧のために警官隊が出動し、米国のCNNでも報道されるほど凄まじかった。 - 李大浩(イ・デホ)2006年シーズン、韓国プロ野球では、1984年の李萬洙(三星ライオンズ)以来、22年ぶりの首位打者・打点・本塁打の打撃3冠王に輝く。
- フェリックス・ホセ
[編集] 主な退団・引退選手
- 崔東原(チェ・ドンウォン)ロッテ草創期のエース。『鋼鉄の豪腕』と呼ばれた。現ハンファ2軍監督。
- 尹学吉(ユン・ハッキル)
崔東原に継いで80年代後半~90年代前半のロッテの投手陣を支えたエース。崔東原が去った後、貧しい得点支援の中、ほぼ崩壊した投手陣を一人で支えたことで、(皇帝にたとえられた)崔東原の継承者という意味で「孤独の皇太子」という別名がつけられた。韓国プロ野球の通算最多完投勝利および完封勝利記録を持っているタフネスが目立った。 - 朴正泰(パク・ジョンテ)
バットを片手だけで握る独特のバッティングフォームで知られた。小柄な体ながら凄まじい根性の持ち主で、93年シーズン、スライディングで両足首の複合骨折という大怪我を克服。90年代後半、チームのリーダーを務めた。
前述の「大邱の大乱闘」の試合でプレーが再開された際、敵地観客の罵声が飛び交わる中でナインに向け「今日は何が何でも勝つのみ」と檄を飛ばしたと言われる。そして、チームは延長戦の末、1勝3敗の劣勢を覆しプレイオフを制圧、韓国シリーズ進出を果たす。現役の選手の覇気の無いプレイにうんざりしたファンは今も闘志溢れた彼のプレイを懐かしんでいる。
[編集] 過去に在籍した日本球界出身選手
- 徳山文宗 元クラウン・西武→ロッテ選手、登録名・洪文宗(ホン・ムンジョン、홍문종)
- 鴻野淳基 元西武→巨人→横浜選手、登録名・洪淳基(ホン・スンギ、홍순기)
- 光山英和 元近鉄→中日→巨人→千葉ロッテ→横浜選手、登録名・金英和(キム・ヨンファ、김영화)
- 森一馬 社会人野球一光出身
- 天野勇剛 元千葉ロッテマリーンズ 登録名・金勇剛(キム・ヨンガン)
- ボイ・ロドリゲス-元横浜ベイスターズ
- ロベルト・ペレス-元オリックス・ブルーウェーブ
- オジー・カンセコ-元近鉄バファローズ。MLB通算462HRのホセ・カンセコは双子の弟。
[編集] 外部リンク
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過去に存在したチーム | |
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