交響曲第3番 (ベートーヴェン)
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ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調『英雄』作品55(原題:Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo 英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ)は、ベートーヴェンが作曲した3番目の交響曲である。1804年に完成された。なお、「英雄」は「エロイカ」と読むことが多い。ベートーヴェンの最も重要な作品のひとつ。
目次 |
[編集] 概要
フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオンへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンはナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話がよく知られている。もっとも、幾分か伝説化されすぎており、眉唾ともいわれる。(後述)
この曲は、ハイドンやモーツァルトなどの古典派の交響曲や、自身の交響曲第1番、第2番からの飛躍は著しく、特に第2番と本作品との隔たりは、音楽史上まれに見る奇跡と評されることがある。演奏時間50分という曲の長大さや、葬送行進曲やスケルツォといったそれまでの交響曲の常識からすると異質にも思えるジャンルとの本格的な融合、さらに英雄的で雄大な曲想などの点において革新的であり、この曲をもって以後、交響曲はオペラと並ぶクラシック音楽の最も重要なジャンルとしての地位を確立したとされる。
一説によれば作曲者が第九を除き自身の交響曲中、もっとも出来栄えに満足していた曲はこの曲だったという。また、ロッシーニがウィーンへ進出した際、この曲を聞いて感激し、ベートーヴェンとの面会がかなった、という伝説もある。
この曲の標題であるエロイカ(eroica)とは、もともとの語eroicoが女性名詞であるsinfoniaを修飾するために活用した語形である。現在では、単独でこの語形のままドイツ語の辞書の見出しとして採用されることもあり、固有名詞化しているとみることもできるが、単独で用いるのは本来はあまり適切ではない。
[編集] 作曲の経緯
作曲者の「無給の秘書」シンドラーが書いた伝記によると、当時、ウィーン駐在のフランス公使だったベルナドット将軍(後のスウェーデン国王カール14世ヨハン)の勧めにより、作曲を始めたものとされていたが、このエピソードはシントラーの創作であるとする説が有力視されており、作曲者がこの交響曲の作曲に着手したきっかけはよくわかっていない。無論、ベートーヴェンを含めたドイツ・オーストリアの広範な知識人層の間にナポレオンへの共感が存在したことは否定できないし、この曲が初めはナポレオンへの献呈を念頭に置いて作られた事は確かである。
なお、ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いて激怒し、献呈辞が書いてある表紙を破り取ったという作曲者の弟子であるフェルディナント・リースの回想に基づく有名なエピソードが伝えられている。しかし実際は、ウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献呈辞をペンでかき消した上に、「シンフォニア・エロイカ」と改題され「ある英雄の思い出のために」と書き加えられている。
最終的な献呈先はロブコヴィツ侯爵に落ち着いた。この書き足された「ある英雄」が誰であるのかに関しては昔からいろいろ推測されてきたが、ごく最近『この「ある英雄」は、非公開の初演に立会い、1806年7月9日にイェーナ会戦で戦死したルイ・フェルディナント(フリードリヒ大王の甥で、音楽的才能もあった)ではないか』という説も出てきている。
[編集] 演奏の歴史
[編集] 初演
[編集] 日本初演
- 1909年(明治42年)11月28日、東京・上野の奏楽堂にてA.ユンケル指揮、東京音楽学校管弦楽団(第1楽章のみ)
- 1920年(大正9年)12月4日、東京・上野の奏楽堂にてG.クローン指揮、東京音楽学校管弦楽団(全曲)
[編集] 編成
ホルンの3本は、注目すべき点である。(通常は2本または4本で使用される。)
[編集] 構成
演奏時間は約50分。第2楽章には歌曲風の楽章の代わりに葬送行進曲、第3楽章にはメヌエットの代わりにスケルツォ(ただし、これは第1番と第2番でも既に試みられている。)、そして終楽章にはロンド風のフィナーレの代わりに変奏曲が配置される。
[編集] 第1楽章 Allegro con brio
交響曲1番および2番にあったゆっくりした序奏を欠いている。 但し、主部の冒頭に(修飾がつくこともあるが)2回和音が響き、3度目からメロディーが流れていく、というリズムパターンは第1番から第4番まで共通しているのでは、と指摘している学者もある。ベートーヴェン自身のそれ以前の作品と比較しても、格段に大規模であり、特に、コーダの部分が第2の展開部といえるほど充実していることが特徴的とされる。なお、汎用スコアでのコーダの一部にワインガルトナーによる改変を採用する演奏が多い。
[編集] 第2楽章 Marcia funebre: Adagio assai
第1中間部の冒頭にMaggiore(長調の意。ここでハ長調に転調する)、第2主部の冒頭にMinore(短調。ハ短調に戻る)と記されている。
[編集] 第3楽章 Scherzo: Allegro vivace
トリオ(中間部)に、ホルン三重奏が見られる。
[編集] 第4楽章 Finale: Allegro molto
- 変ホ長調 2/4拍子 自由な変奏曲の形式
主題と10の変奏による。ただし、第IV、第VII変奏については、ソナタ形式における展開部の様相を示すため、変奏に入れず、変奏と変奏の間の間奏のような形でとらえることもある。第X変奏も、コーダの様相を示すため、変奏に入れないことがある。なお、第4楽章の主題は、バレエ音楽『プロメテウスの創造物』の終曲のものと同じであるばかりでなく、ベートーヴェンの他の作品でも使われているが、この曲以降ベートーヴェンはこの主題を入れた曲を書いていない。