井上雅央
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井上雅央 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 井上雅央 丸藤正道? |
本名 | 井上雅央 |
ニックネーム | 甲斐の怪力 |
身長 | 180cm |
体重 | 105kg |
誕生日 | 1970年3月6日 |
出身地 | 山梨県中巨摩郡 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | ハンドボール |
デビュー | 1991年 |
井上雅央(いのうえ まさお、1970年3月6日 - )はプロレスリング・ノアに所属するプロレスラーである。山梨県中巨摩郡出身。
高校時代はハンドボール部に所属。同郷のジャンボ鶴田に憧れてプロレス入りを熱望。1990年春、ジャンボ鶴田の後援会関係者の口添えでジャイアント馬場と面談し全日本プロレス入りを果たす。
1991年4月4日、リチャード・スリンガー&浅子覚戦でデビュー(パートナーは百田光雄)。1999年に本田多聞とのコンビでアジアタッグ王座を獲得した。
2000年、三沢光晴が旗揚げしたプロレスリング・ノアに移籍。同年7月には金丸義信と組んでFMWに乗り込み、WEWタッグ王座を獲得。2001年4月18日、本田と組んで安田忠夫&橋本真也組と対戦したが、橋本の三角締めで肩を脱臼、そのとき発した「無理!無理!無理!」の叫び声は印象的。2003年に本田とのコンビを解消。なかなか中堅の域を脱せず、2004年には秋山準に泉田純、川畑輝鎮と並んで「健康のためにプロレスをやっている人たち」と言われ「ノア・ヘルスクラブ」と命名されてしまう。5月30日白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)に挑戦するも敗北。その後、スターネスを離脱した斎藤彰俊と合流、ダーク・エージェントを結成した。
「甲斐の怪力」と称される程のパワーを持っているが、それ以上に技を受けた時の過剰ともいえるリアクション、そしてタッグ戦で見せる「ずるい」動きは無比。そのプロレス運びは三沢から高い評価を受けており、他団体の選手がノアマットに上がる時、井上が最初の対戦相手になる事がしばしばある。
2004年10月19日、小橋建太を他のD・Aのメンバー(斎藤、杉浦貴)で急襲し、小橋をロープで梱包した際、他のメンバーは嬉々として梱包作業を行っていたのに対して、かつて選手会長でもあった井上は困った顔をしながら梱包していた。
2006年4月、GHCヘビー級王座挑戦者決定トーナメントを勝ち抜き、自身初めてのヘビー級シングル王座への挑戦権を獲得。4月24日、王者秋山準に挑戦(日本武道館において。武道館のメインでシングルマッチを戦うのもこれが初めて)。23分14秒、リストクラッチ式エクスプロイダーに敗れたものの、リングアウト勝ち狙い、巧みなインサイドワークなどの「雅央ワールド」を存分に見せ付け、全日本時代から見続けたファンを大いに喜ばせた。
学生時代のあだ名は「がまお」である。
目次 |
[編集] 入場曲
- 過去に井上が使用した入場曲を記す。
- MAJESTY
- DEEP/BRAHMAN
- NO MAN ARMY/THE PRODIGY & TOM MORELLO(現在)
[編集] タイトル歴
[編集] 全日本プロレス
- アジア・タッグ王座
- 第68代(防衛3回)&本田多聞
[編集] FMW
- WEWタッグ王座
- 第7代(防衛0回)&金丸義信
[編集] 得意技
- アルゼンチンバックブリーカー(技をかける前に「よっしゃ!担ぐぞー!」と叫ぶ」
- オリャーラリアット(「おりゃー」と叫びながら放つ)
- ブロックバスター
- ミリオンダラーバスター(変形の河津落とし)
- ミリオンダラースープレックス(ミリオンダラーバスターの姿勢から、ジャーマンのように後方に投げる。秋山準とのGHC戦で初公開。秋山はこの技をうけて「一瞬真っ白になった」と語っている)
以下、技とは呼べないかもしれないが、井上雅央を象徴するムーブなので列記しておく。
- 顔面こすり…相手の正面または背後から、リストバンドをつけた手首で相手の顔面をこすりつける。あるレスラーに言わせるとこのリストバンドは相当臭いらしい。嫌がらせ的な技。
- ロープ目こすり…グロッキー状態の相手の頭をロックし、トップロープに顔面を押し付け、そのままロープと平行に移動して相手の顔面をこすりつける。嫌がらせ的な技。
- 串刺しラリアット…コーナーポストにもたれかかっている相手に走りこんでのラリアットを放ち、その勢いでもう2、3回その場でラリアットを放つ。「いやーしとう!いやーしとう!いやーしとう!い~や~~~しとう!」といいながら放つ。
[編集] 雅央女
90年代中頃に首都圏の全日本プロレスの会場で熱烈な井上雅央ファンが登場した。大声というよりも叫び声に近い状態で「まさおーっ」と声援し、井上雅央がピンチになると「やめてーっ」と叫ぶ女性を、ファンは「雅央女」と命名。全日本プロレス前座では「永源遙のツバ」「ラッシャー木村のマイク」と並ぶ名物となった。 その声は非常に通りがよく、あの日本武道館のような大会場でも十分に目立つ声だった。