中村豊
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中村 豊(なかむら ゆたか、1973年4月23日 - )は阪神タイガース所属のプロ野球選手である。外野手。背番号は0。右投右打。大阪府堺市中区出身。堺市立深井中学校出身。2005年の「9.7の決戦」の立役者。血液型はB型。愛称は「豊」。
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[編集] 来歴・人物
上宮高校から明治大学を経て、1995年のドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。日本ハム時代はケガに泣きレギュラーを取る事が出来なかったが、強肩俊足の外野手でパンチ力もある。プロ初ホームランは1年目の1996年、千葉ロッテマリーンズの仲田幸司から放った。
2003年に山田勝彦・伊達昌司との交換トレードで下柳剛とともに阪神へ移籍。同年は主に守備固めとして数多く起用され、リーグ優勝に貢献した。しかし、翌2004年にはわずか3試合の出場にとどまり、オフには2軍コーチ就任の打診(すなわち現役引退の勧告)を受けたが、これを断り現役続行を決断した。
2005年は終盤に中日ドラゴンズとの熾烈な首位攻防戦を繰り広げ、一時は0.5ゲーム差まで追い上げられ苦戦していたが、9月7日の中日戦(ナゴヤドーム)で終盤に代走で出場してそのままライトの守備に就き、11回表に実に3年ぶりとなる決勝ホームランを放った。この一打はチームを優勝に導くきっかけを作ったとしてファンの記憶に強く刻み込まれた(詳しくは9.7の決戦参照)(その試合の9回裏一死一塁・3対3の同点の場面で荒木雅博の平凡なセンターフライを落球した赤星憲広を、すぐさまカバーしてサヨナラ負けを防いだ。)。それ以降、中村が打席に立つだけでスタンドからは金本知憲や今岡誠らが打席に立った時と同じくらいの歓声が沸き、特に打球が外野に飛んだ時はそれが平凡な外野フライであっても歓声は更に大きくなる。上述のナゴヤドームでのホームランがいかにファンにとって印象深かったかがうかがえる。
現在は守備固めでの起用が多いが、たびたび堅守を見せチームに貢献している。
サービス精神が旺盛で、2003年には試合が雨でノーゲームになった際に沖原佳典と共に泥だらけのグラウンドを走り回り、ファンを楽しませた。彼らを一部のファンは『宇宙決死隊』と呼んでいる。
また、明治大学の同級生であり阪神でも共にプレーしたことのある野村克則(カツノリ)とは大親友の間柄で、二人が共にドラフト指名を受けた直後の明治大学内での記者会見で、中村がカツノリを指名したヤクルトの当時の監督であり父でもある野村克也のお面をかぶってカツノリにぼやくパフォーマンスを見せて周囲の笑いを誘った。また野村克也も中村の守備能力などを高く評価しており、最近では顔を合わせるたびに「楽天に来ないか?即レギュラーだぞ。」などと話しかけている。
なお、上宮高校で同級生であったロッテの薮田安彦は、中村宅に居候していた。
[編集] 通算成績(~2006)
- 533試合出場 709打数176安打 打率.248 8本塁打 63打点
[編集] 背番号
- 7(1996年~2002年)
- 0(2003年~ )
[編集] 関連項目
阪神タイガース - 2007 |
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