吉野誠
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吉野 誠(よしの まこと、1977年11月19日 - )は、平成期(2000年代-)の阪神タイガースの投手。背番号47(2005年までは21)。左投げ左打ち。181cm、86kg、B型。埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。
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[編集] 来歴・人物
キレのいいスライダーを武器に、主に左のワンポイントとして活躍している。入団時はオーバースローだったが、2002年にサイドスローに転向したことが契機となり、翌2003年には安藤優也、ジェフ・ウィリアムスとともに中継ぎでフル回転し、チーム最多の56試合に登板。優勝に貢献する。また、2003年の日本シリーズでは7試合中6試合に登板し、全ての試合で無失点に抑える大活躍を見せ、第3戦では勝利投手になり、当時の星野仙一監督はインタビューで「何より吉野が素晴らしい!」と絶賛。
ここ一番での左打者対策としてワンポイントで登板することが多い。特に松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)キラーとして有名である。
吉野の一軍定着前に活躍していた、同じくサイドスローで左のワンポイントの遠山奬志が「遠山桜」と呼ばれていたことから、一部のファンの間では桜の名所である吉野山(奈良県)とかけて「吉野桜」と呼ばれることがある。
オーバースロー時代は制球力が抜群だったが、サイドスローに転向して球威を増した反面コントロールが悪くなり、2003年7月26日の中日戦で1イニング5連続与四球という不名誉な日本タイ記録を作ってしまう。星野監督も「どうせなら新記録を作れ。10回くらい続ければいいんや!」とあきれ返っていた。
2004年以降は低迷し、再びオーバースローに戻すなど試行錯誤を続けている。
2006年は背番号を47に変更し、開幕一軍を果たすも登板なしのまま二軍落ち。8月末に3度目の一軍昇格を果たすと、2006年8月26日の巨人戦でようやく今季初登板。テレビ放送にゲスト解説で出演した星野仙一が「2003年の日本シリーズでの投球をもう一度思い出して欲しい」と檄を飛ばした。
三人兄弟の長男。同世代の安藤投手と仲がいい。今岡誠選手ともよく食事に行く。
[編集] 略歴
- 高校は大宮東高校、大学は日大に在学。
- 1999年、ドラフト2位で阪神に入団。背番号は21(2006年より47に変更)。
- 2003年4月13日、巨人戦でプロ初勝利。
- 2006年、背番号を47に変更。9月2日の横浜戦でプロ初セーブ。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 183試合 1勝6敗1S 防御率4.01 123奪三振 投球回数150 1/3回
[編集] 関連項目
阪神タイガース - 2007 |
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