9.7の決戦
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9.7決戦とは2005年9月7日、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズ(以下中日)対阪神タイガース(以下阪神)19回戦のことを指す。2005年セントラルリーグの事実上の首位決戦であり、阪神と中日の明暗を分けた球史に残る荒れたゲームとなった。
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[編集] 概説
[編集] 天王山
2005年9月になり、セ・リーグの優勝は阪神と中日の2チームに絞られていた。阪神は9月6日からナゴヤドームで中日戦に挑んでいたが、その日はエース井川慶が毎度毎度の背信ピッチング(※)によって初戦を落とし、2ゲーム差にまで迫られていた。
翌9月7日、この日の阪神の先発は、この年安定感抜群で井川に代わりエース格のピッチングをしていた下柳剛、対する中日はエース川上憲伸だった。阪神にとっては優勝争いから一歩抜け出すため、中日にとっては優勝への最後の望みを託すため、どちらにとっても絶対に負けられない試合で、事実上の天王山であった。
※この年の井川は、4月28日(6回戦)、6月21日(7回戦)、8月9日(13回戦)、8月31日(16回戦)、9月6日(18回戦)、9月20日(21回戦)の中日戦で先発しているが、6月21日を除いていずれも背信ピッチングによって敗戦している。特に8月9日と8月31日に至っては、敗戦により0.5ゲーム差まで迫られたこともあり、中日との試合になると、この上ない緊迫感があったほどである。ちなみに2006年は前年とはうって変わってなかなか健闘している。しかし、前年のイメージもあり、ローテーションの中心は福原忍や下柳に奪われた形となっている。
- シーズンで13勝挙げながら中日戦でこれだけ打たれたのは、井川がセットポジション投球時のクセを見抜かれていたためであり、大阪版サンケイスポーツにてそれがスクープされた。井川がセットポジションで投球→中日ベースコーチが球種を特定→サインで打者に伝達していた、というもの。味方が5点を先制した直後にそれ以上の失点をした試合があったのはこのためである。阪神側もスクープされる前にそれに気付き、クセを逆手に取る作戦を使うつもりだったがスクープされてボツとなってしまった。なお、ベースコーチが球種を打者に伝達する行為はパシフィック・リーグでは禁止されているが、セントラル・リーグでは禁止されていない。
[編集] 阪神先制、追う中日
まず先制したのは阪神。4回に4番金本知憲のソロホームランで先制。阪神は6回から5回まで2安打無失点ピッチングの下柳に替えて中継ぎエース藤川球児にスイッチした。ところが、藤川は2イニング目となった7回に代打森野将彦を四球で歩かせた後、8番谷繁元信に同点となるツーベースを浴びる。その後阪神は8回表2番鳥谷敬のタイムリーツーベースで勝ち越しに成功する。
[編集] 波乱の布石
そして9回表、中日・落合博満監督は1点ビハインドの展開で守護神・岩瀬仁紀を投入。通常なら考えられないこの采配は、中日側にとっても絶対に落とせない一戦であるとの意思表示でもあった。しかし阪神は金本、今岡誠の連打と桧山進次郎の四球で無死満塁のチャンスを作る。7番矢野輝弘がセカンドゴロで本塁のみフォースアウト。1アウトとなった後、8番藤本敦士に代打シェーン・スペンサーが起用される。しかしここでスペンサーは微妙なハーフスイングを空振りに取られる。次に迎えるのは代打関本健太郎。ここで関本はライト前にタイムリーを放ち、今岡が生還。続いて桧山の代走で途中出場していた中村豊も本塁突入を試み、キャッチャー谷繁のタッチをかいくぐっていたにも関わらず、判定はアウト。これに怒った岡田彰布監督が猛抗議するも判定は覆らず。結局阪神は追加点を1点しか奪えず、9回守護神・久保田智之に勝利の行方を託すことになった。
[編集] 波乱の始まり~試合中断劇
しかしここからが波乱の始まりだった。久保田はアレックス・オチョア、森野に連打を浴び無死2,3塁と一打同点のピンチを招いてしまう。そして迎えるは8番谷繁。ここで久保田は谷繁をセカンドゴロ。代打からそのままセカンドの守備に就いていた関本がホームへ送球し、タイミングは完全にアウトだったが判定はセーフ。ここで阪神岡田監督の怒りはピークに達し、橘高淳球審に向かって暴力行為を振るおうとしたが、止めに中に入った平田勝男ヘッドコーチが球審を押し倒す形で結局平田ヘッドが退場処分となる。さらに怒りが収まらない岡田監督は守備に就いていた選手をベンチに呼び集め、没収試合も辞さない覚悟だった。激怒した岡田監督や普段温厚な藤川らが猛抗議するも判定は覆らず、結局岡田監督は牧田球団社長の説得により、18分の中断の後、試合は再開された。
[編集] 更に続く波乱の展開
この後、久保田は代打井上一樹にレフトへの犠牲フライを許し同点とされる。この後、1番荒木雅博のセンターへの何でもないフライを守備の名手赤星憲広がまさかの落球、1アウト2,3塁の絶体絶命のピンチを迎えてしまう(この時、赤星が落球した際に、即座にライトの中村豊がカバーに入ったおかげで1塁ランナーの生還を阻め、即サヨナラ負けには至らなかった。まさに影のファインプレーである。ちなみにこの時の赤星の顔はまさに顔面蒼白状態だった)。ここで、2番井端弘和を敬遠し満塁策を取る。
[編集] 「むちゃくちゃしたれ!」
もう後がない場面で阪神岡田監督が就任後初めてマウンドに向かい蒼白の久保田に向かって半ば笑顔でこう言った。「もう打たれろ!こうなったらお前の責任やない!むちゃくちゃ投げたれ。オレが責任取ったる!」この指揮官の一言で立ち直った久保田は続く渡邉博幸、タイロン・ウッズをオール直球で三振に打ち取り絶体絶命の場面を何とか踏みこたえる。(後に捕手であった矢野はこんな発言はなかったと否定している。)
[編集] 動かぬ落合
10回裏、久保田は1アウト1,2塁のピンチを迎える。ここで2塁ランナーの福留孝介が三塁へ盗塁。微妙なタイミングであったが判定はアウト。福留は猛抗議するもベンチの落合博満監督は抗議に行く素振りも見せなかった。「敵将・岡田とのあまりにも対照的な将の態度に、中日ベンチの士気は勢いを失くしてしまった」と巷では言われるが、落合は無意味な抗議を全くしない監督であることから、後付けで脚色された部分も少なからずあるだろう。いずれにせよ、2アウト1塁となった後、久保田は谷繁を打ち取り、無失点でピンチを乗り切る。
[編集] 伏兵・中村豊
そして迎えた11回表、阪神は先頭の中村豊が、中日の六番手平井から移籍後初の値千金となるホームランで勝ち越す。その裏も久保田が投げきり久保田は65球の熱投を投げ終えた。
この試合を境に、阪神は優勝に向けて快進撃を続け、一方の中日は勢いが無くなりこの年は阪神が2年ぶりの優勝を成し遂げた。
- とは言え、2005年の阪神対中日の対戦成績は11勝11敗で、優勝した阪神から見ればセ・リーグの他球団で唯一勝ち越しができなかったチームが中日である。ましてや、阪神の鬼門と言われるナゴヤドーム(1997年の開場以来、この球場・このカードの阪神から見た全対戦成績は前日までで31勝76敗1分けであった)での決戦を制したことで、9月7日以降、優勝した9月29日まで、16戦中13勝もすることができた。一方の中日は同じ期間で18戦中8勝しかできなかった。
[編集] エピソード
[編集] 選手・関係者
- 試合後、阪神監督・岡田彰布は「もう勝ち負けなんてどうでもよかったんや」と言った後、目を血走らせながら「勝ったんやな。もう忘れたわ」と漏らした。9月29日、岡田は阪神甲子園球場での優勝インタビューの際に改めてこの試合について聞かれると、「中村豊がホームランを打ってくれたことが一番嬉しかった」とコメントしている。久保田に放った「責任はオレが取る」の言葉の裏には、「たとえこの試合を落としてそのまま優勝を逃したとしても、責任は全て自分が取る」(辞任する?)との強い決意があったのでは、と多くのメディアで憶測された。
- 一方の中日監督・落合博満は「監督で負けた。以上」とだけコメントした。この言葉については、「勝利に対する両監督の執念の差が最後の優勝争いに差を生んだ」「10回裏の福留の三盗失敗に抗議しなかった、自分への後悔が読み取れる」などと様々な説があるが、もともと落合は、選手を滅多な事では責めない監督である。
- 18分の中断中、阪神ベンチ上のスタンドから野次を飛ばす中日ファンに対し、普段は温厚な藤川が「俺らは命懸けて野球をやってるんじゃ!」と怒鳴りつけた場面がCS放送を通じて全国に流された。
- 久保田は9回裏のマウンドで岡田監督から「責任はオレが取る」と聞かされたとき、「それでもここで打たれたらオレが責任投手(負け投手)になるじゃないか」とカチンときたという。そうして開き直った結果が、連続三振であった。
- この試合で3度(本塁突入でのアウト、赤星の失策のカバー、そして起死回生の11回表勝ち越しホームラン)試合のキーポイントの中心にいた中村豊は、この試合を機にまさに記憶に残る男として一躍時の人となった。ホームラン直後から自身の携帯電話に留守電やらメールやらが入りまくり、また優勝特番やオフの関西ローカルのトーク番組にひっぱりだことなって、後にテレビではこの試合のことを熱く語っていた。また、控え選手にも関わらず、数少ない打席に立ったときには阪神ファンから、レギュラー陣にひけを取らないくらいの大歓声を受けるようになった。
- 金本は中村豊のホームランを「予言」した、とされている。だが、これは金本本人が「そういう風には言っていない」と、やんわりと否定している。金本によれば、中村豊の打席の時はベンチ裏のロッカーでモニターを見ていて、アウトコースに対応できていない中村豊のバッティングを見て「コイツ(中村豊)が打てるのはインハイ(内角高め)しかないな」と言ったという。そしてその直後、バッテリーの配球ミスでインハイにきた球を捌いた打球が見事スタンドインとなったという訳である。
- 中村豊のホームランは3年ぶりで、しかも阪神移籍後初ホームランとなった。
- 試合再開後の9回裏に失策した赤星は、勝利に安堵して号泣したという。
- 平田ヘッドは後日のテレビ番組の中で、「何で僕が退場なのだろうと思ったよ」と言っている。
- 選手を引き上げさせる行為は審判への侮辱行為と見做され、また5分以上抗議を継続したことから、本来岡田監督は退場処分である(この時点で『5分以上経過して抗議を継続した場合は退場処分とする』ことが12球団監督会議による申し合わせで決められていた)。この試合の場合は審判団の手際の拙さが目立つ形となった。因みに落合監督も2006年7月5日の巨人戦(11回戦・東京ドーム)で同様の行為を行い、侮辱行為と見做され退場処分となっている。
- 岡田監督が久保田に発言したとされる「むちゃくちゃしたれ」は岡田監督の代名詞のひとつとなり、2006年後半戦からビハインドゲームで対戦チームの投手交替の際に応援団が演奏する「オペレーションビクトリー」の歌詞にも引用されている。
[編集] 中継
- 9回裏の中断時には、テレビでは地上波の放送は終了しており、CSのJ SPORTSのみとなっていた。中断時には問題となったシーンが繰り返し流されたが、バックネット裏からと1塁側からの映像が流されたのみで、肝心な天井からの映像が一度も流されなかった。このため、実況・解説者ともに映像を見ながら「ここから見ればセーフに見えます…」「いや、ここから見ればアウトに見えますね…」とコメントが二転三転していた。それほど微妙な判定であった。
- 中村豊がホームランを放ったとき、ABCラジオではベースランニング中にガッツポーズを4回したと実況楠淳生(中村豊ーー拳を2度、3度、4度三塁キャンバスの上で揺らした)が言ったが、後に関西テレビの優勝特番でVTRを確認したところ、大小合わせて6回していたことが判明した。
[編集] スコア
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 計 | |
阪神 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 4 |
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 |
[勝]久保田 5勝4敗23S [敗]平井 4勝4敗1S
[本塁打]
- 神:金本33号ソロ(4回・川上) 中村豊1号ソロ(11回・平井)
- 中:無し
[バッテリー]
- 神:下柳-藤川-ウィリアムス-久保田・矢野
- 中:川上-高橋聡-山井-岩瀬-石井-平井・谷繁
[阪神]
[中日]
[失策] 赤星(9回)[盗塁死] 赤星(5回) 福留(10回)[走塁死] 鳥谷(8回) 中村豊(9回)[捕逸] 矢野(8回) [開始]18時1分 [時間]5時間1分 [審判] 橘高(球審) 嶋田 上本 友寄(塁審)
投手名 | 投球回 | 打者 | 球数 | 安打 | 三振 | 四球 | 死球 | 失点 | 自責点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
下柳 | 5 | 18 | 69 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
藤川 | 2 | 9 | 37 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 1 | |
ウィリアムスH | 1 | 5 | 22 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
久保田○ | 3 | 16 | 65 | 4 | 5 | 2 | 0 | 2 | 2 | |
投手名 | 投球回 | 打者 | 球数 | 安打 | 三振 | 四球 | 死球 | 失点 | 自責点 | |
川上 | 7 | 26 | 112 | 4 | 5 | 2 | 0 | 1 | 1 | |
高橋聡 | 1/3 | 3 | 13 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | |
山井 | 1 | 5 | 20 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | |
岩瀬 | 2/3 | 2 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
石井H | 2/3 | 4 | 15 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
平井● | 11/3 | 5 | 28 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 |