ローレンス・サマーズ
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ローレンス・ヘンリー・サマーズ(Lawrence Henry Summers, 1954年11月30日 - )はアメリカの経済学者、政治家。クリントン政権後半期に第71代アメリカ合衆国財務長官(在任、1999年 - 2001年)を務めた。2001年財務長官退任後は、ハーバード大学学長を務めている。
サマーズは、女性が科学で優秀な成績をあげられないのは素質の差だという問題発言により大学の内外から激しい批判を浴びた。2006年2月21日サマーズは、2006年6月30日をもってハーバード大学学長を辞任する趣旨を発表した。後任には、前学長のデレク・ボクw:Derek Bokが暫定的に就くと発表された。ハーバード大学はボク暫定学長によって事態の収拾に務め、同時に本格的な後任を選考する模様である。
一方でサマーズは2006年から2007年度の有給休暇後、ハーバード大学に戻ることを勧められたが、サマーズの何人かの友人によれば、大学に戻ることを辞め、ウォール街で事業を行うか、2008年度アメリカ大統領選挙に民主党陣営への参加が示唆されている。
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[編集] 生い立ち
1954年11月30日コネチカット州ニュー・ヘブンw:New Haven, Connecticutに経済学者を両親(両親ともペンシルバニア大学教授)として生まれる。
ノーベル経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンは父ロバート・サマーズの兄弟(サミュエルソンから、サマーズに改姓)、ケネス・アローは母方の兄弟に当たる。幼年期の多くをペンシルバニア州ペン・バリーPenn Valleyで過ごす。 その後フィラデルフィア郊外のハリトン高等学校w:Harriton High Schoolに学んだ。
1970年16歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学する。当初は物理学を専攻するが、1975年に経済学部に移る。また、MITディベートチームの会員として活動した。MIT卒業後、ハーバード大学大学院に進み、マーチン・フェルドスタインw:Martin Feldsteinの下で学び、1982年博士号を取得する。かくして、MIT、ハーバード双方で教壇に立つ資格を得たサマーズは、1983年28歳の若さでハーバード大学史上最年少の教授となった。
[編集] 経済学者として
研究者としてのサマーズは、経済学の多くの分野でめざましい業績を上げた。すなわち、財政学、労働経済学、金融経済学そして、マクロ経済学の分野である。以上の分野と比較すれば貢献度は低いものの、国際経済学、経済における人口統計学、経済史、開発経済の分野についても論文を発表している。サマーズの研究手法は、経験的な経済データの分析を重視したものである。例としては、貯蓄が税控除後の利率を制御するか、などの命題がある。
サマーズの業績に対しては、1987年社会科学系の学者としては最初に、全米科学財団w:National Science Foundationからアラン・T・ウォーターマン賞を、1993年アメリカ経済学会からジョン・ベイツ・クラーク賞をそれぞれ授与された。サマーズは全米科学アカデミーの会員でもある。
[編集] 世銀、財務省、ハーバード大学学長
1991年ハーバード大学教授を辞し、世界銀行上級副総裁(世界銀行チーフエコノミスト)に就任する。1993年、クリントン政権が成立するとアメリカ合衆国財務省に移り、財務次官。1995年に財務副長官を経て、1999年7月ロバート・ルービンの辞任に伴い、後任の財務長官に就任する。財務長官として国内の経済・財政政策や日本などの対外経済関係、通貨危機などの国際経済を担当した。2001年ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権成立に伴い、ハーバード大学に学長として復帰した。
[編集] 人物、言動、評価
[編集] サマーズ・メモ
1991年12月世界銀行チーフエコノミストの時期に、あくまで内部文書という意識で「グローバル経済展望」というタイトルで長文のメモランダムを書いた。そのメモの大意を要約すると「世界銀行は、公害産業を開発途上国にもっと移転することを推奨すべきである。」というものである。
サマーズ・メモは大別して以下の3つの論点からなる。
- 環境汚染によるコストは、健康被害による死亡や傷害のおかげで受けとる機会を失う稼得額に依存するが、最貧国においては低コストで済む。
- 環境汚染によるコストは、環境汚染が増大することによって当然、上昇する。したがって汚染を既に汚染が進んでいる国からまだ汚染されていない国に移すことは、コストの低減を意味する。
- 所得水準が上昇すると、環境に対する意識が高まるので、汚染物質の処分にコストが一層かかる。故に環境汚染が経済先進地域から貧困地域へ移るならば、コストは低下する。
サマーズは経済学の論理からすれば、有毒廃棄物を最低賃金国に投棄(dump)することは反論の余地のない提案であって、われわれはこの真理に直面しなければならないとメモに記した。当然、このメモの内容は内外で大きな反響を招いた。サマーズ・メモに対する第一の批判は環境保護論の立場からでグリーンピースなどはサマーズの辞任を求めた他、ブラジルのホセ・ルッツェンベルガー環境相は「経済学者の横柄な無知」と批判した。第二の批判は、サマーズのみならず世界銀行のエコノミストが新自由主義に基づく経済政策を世界レベルで押しつけているのであって、サマーズ・メモをアメリカを頂点とする世界経済システムの一表象として、世銀副総裁であるサマーズに発言を続行させて新自由主義が持つ問題点をあぶり出すことを求める見解であった。
世界銀行とサマーズは、メモについては、あくまでもサマーズ個人の立場からの発言であり、世界銀行の立場を公式的に現したものではない。サマーズ・メモは皮肉な対位法の意味で示されたと弁明したが、いずれにしても、世銀及びサマーズにとっては著しい不名誉ではあった。
[編集] 財務長官時代
財務長官時代のエピソードとして、「サマーズに謙そんを求めるのは、マドンナに貞操を期待するようなもの」と評されたように傲岸さを批判されている。財務次官、副長官時代であるが、1994年のメキシコ通貨危機、1997年タイから始まった金融危機に際しては、国際通貨基金と密接な連携をとり事態を収拾したが、この際、アメリカ合衆国議会で事態収拾に向けて、答弁にたった際は、多くの議員から「議会に対する敬意が無い」と不評を買っている。
中国重視の姿勢をとったクリントン政権の中で、対外経済関係を担当したため、日本政府に対しては、減税や銀行への公的資金投入の必要性について、内政干渉に近い形で要求してきた。
[編集] ハーバード大学学長就任当初
自由貿易とグローバリゼーションを熱心に支持し、中道左派を自称する思想的傾向に加え、尊大な性格もあって、ハーバード大学学長に就任直後から、大学経営をめぐり特に人文科学、社会科学系の教授・学生などとの対立に直面した。
2001年秋、サマーズとハーバード大学芸術科学部アフリカン・アメリカン講座のコーネル・ウェストw:Cornel West教授の対立が顕在化した。サマーズは私的な会合の中でウェストに対して批判した。その結果、ウェストは激怒し、「私は自由で自尊心を持つ黒人だ。あのような態度は我慢ならない」との言葉を残してハーバード大学を辞め、プリンストン大学へ移った。ウェストが2004年に著した「民主主義の本質」では、サマーズを「無節操なパワープレーヤー」と呼んで批判している。
[編集] 男女間の能力に関する発言
2005年1月サマーズは、経済研究所の会合で理数系の分野で活躍する女性が少ないのは、男女に生まれつきの違いがあるからだろうとほのめかした。この会合の直後に発言が、報道されたことによって、ハーバード学内はもちろん全米で大きな論争を巻き起こした。サマーズは、猛反発を受けて発言を陳謝した。
[編集] 支持者と反対派
2005年3月15日ハーバード大学人文学部(w:Faculty of Arts and Sciences、FAS)教授会、ハーバード人文学大学院(w:Harvard Graduate School of Arts and Sciences、GSAS)、ハーバード・カレッジw:Harvard Collegeは、サマーズ学長に対する不信任決議を賛成218、反対185、棄権18で可決した。より穏やかな形でサマーズを批判する投票についても実施され、賛成253、反対137、棄権18でこれも可決した。
[編集] 学長辞任
[編集] 外部リンク
- 公式経歴 (ハーバード大学ホームページ内)
- Who Is Larry Summers? BusinessWeek, May 24, 1999.
- How the Great Brain Learned to Grin and Bear it Slate, June 29, 2001.
- Renaissance Man The Guardian, October 5, 2004.
- Larry Summers' War Against the Earth CounterPunch
- Institutional Investor: How Harvard Lost Russia
- Lawrence of Absurdia
- Secretaries of the Treasury - Lawrence H. Summers - アメリカ合衆国財務省の公式サイト[1]内の、サマーズの紹介ページ(英語)
- 世界銀行チーフエコノミスト
- 1991年 - 1993年
-
- 先代:
- スタンレー・フィッシャー
- 次代:
- ジョセフ・E・スティグリッツ
- アメリカ合衆国財務長官
- 1999年 - 2001年
-
- 先代:
- ロバート・ルービン
- 次代:
- ポール・オニール
- ハーバード大学学長
- 2001年 -
-
- 先代:
- ニール・ルーデンスタイン
- 次代:
- -
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