レオダーバン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1988年4月25日 |
死没 | - |
父 | マルゼンスキー |
母 | シルティーク |
生産 | 早田牧場新冠支場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 田中竜雨 |
調教師 | 奥平真治(美浦) |
競走成績 | 9戦4勝 |
獲得賞金 | 2億1316万6200円 |
[編集] 戦績
1990年12月に中山競馬場でデビュー。新馬戦を3馬身半差で勝利したが、続く500万下条件は、ダートの馬場が影響してか、4着に敗れる。
この後、ソエによる3ヶ月の休養を強いられたが、復帰初戦の山桜賞(500万下)を5馬身差で勝利。続く青葉賞では、出遅れて4コーナーでもほぼ最後方だったが、ここから上がり3ハロン34秒5の末脚で一気に差し切った。このレースで見せた豪脚は、競馬ファンに強烈なインパクトを与え、一躍トウカイテイオーの対抗候補に躍り出る。
そして東京優駿(日本ダービー)では、重賞初挑戦ながら、トウカイテイオーに次ぐ2番人気に推されたが、トウカイテイオーに3馬身離された2着に終わる。
秋初戦となったのはセントライト記念。ここでは、単枠指定(翌々週から馬番連勝複式が導入されたため、JRA最後の単枠指定馬となった)で単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推される。ところが、伏兵ストロングカイザー相手に3着と敗れる結果となり、菊花賞に向け不安を残す形となった。
トライアルの敗戦や気性の激しさといった不安材料から菊花賞では、3番人気にとどまる。しかし、レースは名手岡部幸雄の面目躍如たるものだった。
2000mの通過が2分10秒2という超スローペースながら、中団で折り合いを付け、レオダーバンの得意な瞬発力勝負に持ち込んだ。直線に入ると鮮やかな末脚で先頭に立ち、外から追い込むイブキマイカグラを1馬身半差振り切り、戴冠した。
この後陣営は、打倒トウカイテイオーを旗印にしつつ、有馬記念を次走に見定めた。 ところが、レースを前にして屈腱炎を発症。長期休養を余儀なくされる。
ようやく復帰にこぎつけたのは翌1992年の有馬記念。岡部はトウカイテイオーを選んだ(但し、騎乗停止の為にレースは田原成貴に乗り替わり)為、鞍上は横山典弘であった。 屈腱炎の影響からか、レオダーバンに往年の力は戻っておらず、13着と初めて掲示板を外す大敗を喫した。なお、トウカイテイオーはこの時11着であり、結果として1度も先着することはかなわなかった。
次走はアメリカジョッキークラブカップ。ここも9頭立ての8着に敗れ、このレースを最後に引退することとなった。
[編集] 引退後
引退後は、CBスタッドで種牡馬入りした。マルゼンスキーの後継として期待されたが、産駒はエルムステークス2着のエーピーバーストが目立つ程度で、種牡馬として成功したとは言い難い。
2001年には種牡馬からも引退した。
[編集] 血統表
レオダーバンの血統 (ニジンスキー系(ノーザンダンサー系)/Native Dancer 5×3=15.63%) | |||
父
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
*Shill 1970 鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Quill | Princequillo | ||
Quick Touch | |||
母
シルティーク 1981 鹿毛 |
*Dancer's Image 1965 芦毛 |
Native Dancer | Polynesian |
Geisha | |||
Noors Image | Noor | ||
Little Sphinx | |||
ヤマトマサル 1965 栗毛 |
コダマ | *Bouffleur | |
シラオキ | |||
ミスミハル | ミハルオー | ||
マイラブ F-No.12 |
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