ラングーン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラングーン事件( - じけん、英: Rangoon bombing)は、1983年に発生した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員により、ビルマ(現在のミャンマー)を訪問中であった大韓民国(韓国)の全斗煥大統領一行の暗殺を狙って引き起こされた爆弾テロ事件のことである。
目次 |
[編集] 事件概要
1988年のソウルオリンピック開催を目指していた韓国は、北朝鮮と親密だった非同盟中立諸国に閣僚を派遣し、韓国でのオリンピック開催や、その際の参加を熱心に説得に回っていた。その一連の歴訪は、最悪の場合は北朝鮮を外交的に孤立させてしまうものであり、金日成主席を非常に苛立たせていた。金日成は偵察局第711部隊に命じ、全斗煥の暗殺を実行した。計画の立案は金日成の長男である金正日であるといわれている。
1983年10月、陳少佐とカン・ミンチョル上尉およびキム・チホ上尉の3人がビルマの首都ラングーン(現在はヤンゴン)へ入り、大統領一行が訪れるアウン・サン廟の屋根裏に遠隔操作式のクレイモア地雷を仕掛けた。
10月9日、全斗煥大統領一行は、アウン・サン廟へ献花に訪れた。その時、遠隔操作によって廟の天井で爆発が起こり、韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側は4名が爆死し、負傷者は47名に及んだ。全斗煥自身は、乗っていた車の到着が2分遅れたため、危うく難を逃れた。
直後、韓国側は北朝鮮の組織的な陰謀であると主張した。対して北朝鮮側は、韓国が北朝鮮を陥れるために起こした自作自演の事件であると主張したが、当時名高い非同盟中立国であったビルマによる捜査、そして北朝鮮による犯行というその結論は国際的に受け入れられ、結局北朝鮮を外交的に孤立させる種を蒔くことになった。
ビルマ警察の調査と追跡により、工作員3名は追い詰められ、銃撃戦の末に逮捕された。キム上尉は射殺され、陳少佐とカン上尉が重傷を負った。2人は警察に対して案外簡単に作戦の全貌を自供し、11月4日にビルマ政府によって犯行を北朝鮮によるものと断定して、3人の北朝鮮軍人が実行犯として告発した。公判でも北朝鮮偵察局の犯行説が採用され、有罪となった。これによって、建国の父アウン・サンの墓所をテロに利用されたビルマは北朝鮮との国交を断絶するのみならず、国家承認の取り消しという極めて厳しい措置を行った[1]。
ビルマが北朝鮮の外交関係を全面回復したのは2006年4月である。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ↑ ロイター 2006/04/10
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 東南アジアの事件 | テロ事件 | ミャンマーの政治 | 朝鮮民主主義人民共和国の国際関係