マリア・ジョアン・ピリス
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マリア・ジョアン・ピレシュ(Maria João Pires、1944年 - )はポルトガルの国際的ピアニスト。日本では、マリア・ジョアオ・ピリスという誤った発音と表記が定着している。
幼少期からピアノを始め、早くも7歳でモーツァルトの協奏曲を公開演奏した。9歳で、ポルトガル政府から青少年音楽家に与えられる最高の栄誉を受け取った。1953年から1960年までリスボン大学で作曲・音楽理論・音楽史を師事。それから西ドイツに留学し、ミュンヘン音楽アカデミーとハノーファーに学ぶ。1970年に、ブリュッセルで開かれたベートーヴェン生誕200周年記念コンクールで首位となる。この間に、個人的にヴィルヘルム・ケンプの薫陶を受ける。1970年代には、デンオンと契約してモーツァルトのソナタ全集を録音した。
手首の故障から一時期、演奏活動から遠ざかっていたが、1980年代に復活を果たし、1986年のロンドン・デビュー、1989年のニューヨーク・デビューは、聴衆からすこぶる好評を得た。1987年には、クラウディオ・アバド指揮するグスタフ・マーラー青年オーケストラのヨーロッパ・デビュー・コンサートに客演し、共にハンブルク、パリ、アムステルダムを廻った。
ソリストとして欧州や北米、日本、イスラエルに定期的に客演し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ボストン交響楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団などの主要なオーケストラと共演している。近年は、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭やタングルウッド音楽祭、ラヴィニア音楽祭などにも出演し、1990年にクラウディオ・アバド指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演してザルツブルク復活祭フェスティバルにもデビューした。
さらに、室内楽演奏にもすぐれており、1989年よりフランス人ヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイと組んで演奏や録音を続け、1992年と1994年には、二人でヨーロッパ各地や日本に演奏旅行を行なっている。ディメイとの演奏は評価が高く、1998年には、チェリストのジャン・ワンを加えたトリオとして、極東ツアーを行なった。
ピリスは非常に小柄であって手も小さく、そのため一度に押さえることのできる鍵盤の範囲が限られている。そのため間々ミスタッチも起こしやすい。技術主義的な観点から論評する向きは、このような短所を重大な欠陥としてあげつらうが、楽曲の解釈や構成力、音色を重んずる向きからは、とりたてて問題視されてはいない。
1989年よりエラート・レコードからドイツ・グラモフォンの専属アーティストに移籍(デュメイも同時期にEMIから移籍)。モーツァルトのピアノ・ソナタ集の録音により、1990年に国際ディスク・グランプリ大賞CD部門に輝く。ほかに、モーツァルトとショパンのピアノ協奏曲やシューベルトの作品集、デュメイとの共演によるブラームス、モーツァルト、フランク、グリーグ、ドビュッシー、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタがある。そのほかに、シューマンの《ウィーンの謝肉祭》と(オーボエ奏者ダグラス・ボイドとの共演による)《幻想的小曲集》などの録音がある。
世界各地でマスタークラスを主宰しており、柔らかな物腰でフランス語と英語によって指導を行なっている。ポルトガルの地方における芸術センター(Quinta de Belgais)の振興についても取り組んでいる。
[編集] 最近の受賞歴
- ショパン《ピアノ協奏曲 第2番》(プレヴィン指揮):1995年ワルシャワ・ショパン協会ディスク大賞
- ショパン《夜想曲集》:1996年レコード・アカデミー賞器楽曲部門
- バッハ《パルティータ第1番》:1996年アカデミー・シャルル・クロ・ディスク大賞
- ブラームス《ピアノ三重奏曲 第1番》(+デュメイ、ジャン・ワン):1997年グランプリ・デュ・ディスクピアニスト