マニフェスト
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マニフェスト (manifesto) とは宣言・声明書の意味で、個人または団体が方針や意図を多数者に向かってはっきりと知らせること、またはそのための演説や文書である。
現在は、選挙において有権者に政策本位の判断を促すことを目的として、政党または首長・議員等の候補者が当選後に実行する政策を予め確約(公約)し、それを明確に知らせるための声明(書)の意味で使われることが多い。 この場合のマニフェストは「政策綱領」「政権公約」「政策宣言」などの対訳で呼ばれている。
本項では、この選挙公約におけるマニフェストについて詳説する。
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[編集] 日本のマニフェスト
[編集] 概要
従来の選挙公約とは異なり、何をいつまでにどれくらいやるか(具体的な施策、実施期限、数値目標)を明示するとともに、事後検証性を担保することで、有権者と候補者との間の委任関係を明確化することを目的としている。つまり、いつ(実施時期)の予算(目標設定)に何(具体的な施策)を盛り込んで実現させるのかを明文化するものであり、必然的に政権を取り予算を制定し行政を運営することが条件となるため、「政権公約」という訳があてられ、定着しつつある。
[編集] 要件
マニフェストには、次のような効果が期待される。
- 現在の政治が抱える問題点を明確化する。
- 美辞麗句を並べた宣伝活動に終始しない、実行可能性が担保された政策を提示する。
- 有権者の政策本位の選択に資する。
- 公約を掲げ当選した候補者または政党による施政の事後評価を可能にする。
そのために、マニフェストには次のような要素が盛り込まれる。
- 執政に対する基本理念、および今後必要となる政策を検討する。
- 個々の政策について、その目的と実施方法、期限、財源などの指標を明確にする。
- 期限や財源などが必要な政策については、判断の基礎となる具体的な数値等を算定し、目標数値を設定する。
- 事後評価可能な形で策定し、専門知識を持たない一般有権者にも解りやすい表現で明文化する。
- 選挙前に公表し、配布する。
さらに、マニフェストを掲げ当選した候補者には次のような政策運営が求められる。
- 当該マニフェストに沿って執政する。
- マニフェストに不具合が生じたとき(マニフェスト策定時点において策定根拠となる基礎データに誤りがあった場合や、予期されない状況の変化など)には、有権者および関係機関に状況を説明し理解を得るといった対応が求められる。
- 事後、マニフェストに掲げた個別政策の達成具合を評価し、公表する。
[編集] 経緯
[編集] 政治不信
大戦後の日本では経済成長を最たる目標としてきたが、高度経済成長の達成により政治はその最たる目標を失う一方、ロッキード事件やリクルート事件など政治家による汚職が大々的に報じられるようになった。その頃になると政治に対しての不信感が拡がりはじめ、選挙での投票率の低迷が顕在化するなど、世論の関心が政治から離れてゆくこととなり、民主主義の根幹を揺るがす問題として懸念されるようになる。
それを受けて 2000年代初頭には、投票受付時間の拡大、不在者投票制度を利用しやすくするための期日前投票制度の施行、即日開票の実施など、投票率向上を期待した制度の改善に取り組まれるとともに、個々の候補者や政党でも、政治への関心を高める方策が模索されるようになる。
[編集] 議会制民主主義における「公約」
以前より選挙公報やポスターなどで「公約」を掲げる候補者は多かったが、それらの中には施政方針よりも広報の手段として使われているものもあり、たとえば美辞麗句に偏りがちである、実行性が担保されていない、具体性に欠ける(そのため事後検証することができない)などの問題が顕在化していたため、「(公約が)守れなかったというのは大したことではない」[1]と考える風潮が散見されるようになった。 「公約」とは本来は公に約束することであるが、その約束が果たされたか否かを検証できない状況が続いたことにより、「公約」の意味が形骸化する事態が危惧されていた。
一方、既存の知名度や強大な資金力、支援組織などの既得権益を利用して選挙に臨む候補者や、現職候補者により議員や首長が固定化する傾向、政策よりも政局に注目がいく傾向も見られ、これらは議会制民主主義の根幹を揺るがす問題として意識されはじめる。
議会制民主主義の原点に立ち返ると、政治の目的は政策の選択とその運営であり、議員や首長を選ぶ行為(選挙における投票・当選)はその手段であるため、候補者が政治の目的である政策(施政の方針)を予め掲げることは、有権者が適切な判断をするための前提になる。 また、現職議員・首長の場合、過去の選挙で掲げた政策が実践されたか否か(つまり過去の約束が果たされたか否か)も判断材料になるため、候補者や政党が予めマニフェスト(政策綱領)として方針を明文化することで、施政における責任を担保し、有権者の信頼を得るための手段になると期待される。
[編集] 「マニフェスト」の導入
そのような事態を受けて日本では、1998年の統一地方選挙の頃からマニフェストが作られるようになった。しかし、配布すると公職選挙法に定められた不特定多数への文書図画の頒布の制限違反に抵触する選挙違反とされたため、選挙期間中の配布はされなかった。
2003年の公職選挙法改正によって、補欠選挙を除く国政選挙では政党がマニフェストを選挙期間中に配布できるようになり、2003年の衆院選では、民主党がマニフェストの作成を宣言し、他党もそれに追随することとなった。
また、2003年になると北川正恭三重県知事(当時)が「ローカル・マニフェスト」(地方自治体におけるマニフェスト)の導入を提唱し、増田寛也岩手県知事、片山善博鳥取県知事、松沢成文候補(後に神奈川県知事)が賛同、松沢がこれを実施し当選する。
なお、このとき松沢が示したマニフェストには「政策宣言」という対訳が付されていたが、その後のマスメディア等の報道では「政権公約」という対訳が使われることが多く、現在はこれが定着しつつある。
[編集] 「マニフェスト」の実施
マニフェストを実施した松沢は任期中につき、事後の評価については固まっていないものの、マニフェストの実効性担保および意識高揚のため、学識委員および県民委員による「マニフェスト進捗評価委員会」を組織しての事後評価、および自己評価の結果を公表するといった取り組みがされている。
国政および地方自治体の首長選挙から導入されて普及したマニフェストは、一般世論への認知および政策本位での選挙の実現を目指す意見の高まりなどを受けて、現在は地方議会議員候補者へと拡がりつつあるが、後段で述べるような問題も抱えており、その解決方法が模索されている段階にある。
また、地方選挙や国政選挙における補欠選挙ではマニフェストが配布できない制度になっているため、これらの選挙でのマニフェストが配布できるような改正も望まれている。
[編集] ローカル・マニフェスト
ローカル・マニフェストは、地方政治におけるマニフェストである。
現代日本の国政においては、日本国憲法により、国会が国権の最高機関であり、唯一の立法機関であると定義されている。また衆参両院の意見が割れた際の解決方法も法制化されている。
いっぽう地方自治体においては、首長(都道府県知事または市区町村長)と地方議会は役割分担こそしているものの、その立場はほぼ対等であり、いずれも選挙で選ばれていることから事実上の二元代表制となっているため、個別の事情により状況が変化する可能性がある。たとえばマニフェストを掲げて当選した首長が掲げる施策と、同じくマニフェストを掲げて議会で最大勢力を得た政党の掲げる政策が相反する場合、その実行性が担保されなくなる。
このような問題があるため、国政と地方政治におけるマニフェストにはおのずと差異が生じるが、この事を踏まえて特に地方政治におけるマニフェストを指す場合には「ローカル・マニフェスト」と呼び区別されることがある。
なお、ローカル・マニフェストにおける上記の問題については現在解決法が模索されている状況である。
[編集] 日本以外のマニフェスト
マニフェストとは、上記のような要件を備え文書化された政権公約集であり、議会制民主主義の歴史が長いイギリスをはじめとする諸国で既に実践されている。
イギリスでは、1800年代になると政党が政権公約集を発行するようになり、選挙前には各政党がマニフェストを販売している。 政党は、政権獲得後に行う施政方針および将来制定する法律の概要を記したマニフェストを準備して選挙に臨み、有権者は自らの意図に近いマニフェストを選んで投票する。 選挙に勝った政党のマニフェストが掲げていた主な政策は、他党のものより正当性が高いものと評価され、他の主要政党もこれを尊重する政治が運営されている。
ただし、ここ十年ほどのイギリスでは、マニフェストが投票傾向に与える影響力は低下してきているとも言われる。
なお、イギリスなどの議会選挙では "party manifesto"(または "the manifesto of a party")などと呼ばれ、またアメリカ合衆国大統領選挙では "party platform" と呼ばれるなど、地域や選挙によりその呼称は異なる場合がある。
[編集] 語源
マニフェストの語源については、ラテン語で「手(manus)」と、「打つ(fendere)」が一緒に合わさった、とする説が有力。「手で打つ」⇒「手で感じられるほど明らかな」⇒「はっきり示す」という派生で、政治用語になったと考えられている。
[編集] 共産党宣言
かつてマルクス、エンゲルスが共産主義の見解を世界に示した「共産党宣言」1848年が、その原題を「Das Manifest der Kommunistischen Partei」 といったことから、政治的な立場表明に「宣言」、即ちマニフェストと呼んだもの。同書が、ドイツ語の著作なので、元々はドイツ語のManifest(宣言・声明書の意)に由来するが、ドイツが東西に分裂、資本主義の国々の中で共産党の新しい可能性を現実的な対応で試みたのがイタリア共産党であったため、この言葉は自然とイタリア語で流通することが多くなったものと考えられる。近年日本では政策のことをマニフェストと呼ばれるようになり政治家も使用するようになったが、この意味を知るものは少ない。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献・外部リンク
- マニフェスト研究所(早稲田大学大学院公共経営研究科)
- ローカル・マニフェスト推進ネットワーク連盟
- 選挙・政治改革「マニフェスト」(構想日本)
- 実践 ザ・ローカル・マニフェスト、松沢成文著、東信堂、2005年、ISBN 4-88713-608-0。