マイネルマックス
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1994年4月13日 |
死没 | - |
父 | ブライアンズタイム |
母 | サクセスウーマン |
生産 | サンコウ牧場 |
生国 | 日本(北海道静内町) |
馬主 | (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン |
調教師 | 中村均(栗東) |
競走成績 | 40戦6勝うち地方1戦1勝 |
獲得賞金 | 2億7639万円 |
マイネルマックスは、日本中央競馬会(JRA)に所属していた競走馬。1996年にJRA賞・最優秀3歳牡馬のタイトルを受賞している。
[編集] 短評
3歳時は、初戦の新馬戦こそ3着に敗れるものの、その後折り返しの新馬戦を快勝した後、函館3歳ステークス、京成杯3歳ステークスと重賞を連勝。続く朝日杯3歳ステークスには「ノーザンテースト最後の大物」と騒がれた2戦2勝のクリスザブレイヴが出走してきて話題となったが、マイネルマックスは逃げるオープニングテーマをゴール前で差し切り勝利。鞍上の佐藤哲三騎手は初のGⅠ制覇となった。そしてこの年の最優秀3歳牡馬に輝く。しかし、このときの評価は決して高いものでなく、むしろ同年のラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝ったメジロブライトや、朝日杯3歳ステークスで4着のランニングゲイル等の方が評価が高く、この馬が主役になるとは誰も思っていなかった。
そして翌1997年、まさにその評価が的中。マイネルマックスは、熱発の影響があったにせよ、不甲斐ない成績をその後残すことになる。
古馬になってからも成績は低迷。1999年後半からようやく調子が上向き始め、翌2000年にマイラーズカップを勝ち、またその年のスワンステークスで見せ場を作ったりと、元3歳チャンプの意地を見せるも、その後はいいとこなく燃え尽きたかのよう引退した。
同馬は典型的なマイラーであり、さらに時計が掛かる馬場だとその強さを発揮した。
専門家によると、絶好調の時にダートを使えば、まだ活躍できただろう、という評価もある。
現在は種牡馬として、ホッカイドウ競馬で産駒が勝利を上げている。
[編集] 主な勝鞍
- 1996年
- 朝日杯3歳ステークス(GI)
- 京成杯3歳ステークス(GII)
- 函館3歳ステークス(GIII)
- 2000年
- マイラーズカップ(GII)
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