マグダレナ・マレーバ
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マグダレナ・マレーバ(Magdalena Maleeva, Магдалена Малеева, 1975年4月1日 - )は、ブルガリア・ソフィア出身の元女子プロテニス選手。姉妹プロテニス選手として有名な「マレーバ3姉妹」(マニュエラ、カテリナ、マグダレナ)の末っ子である。シングルス自己最高ランキングは4位。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げた。身長168cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。「マギー」(Maggie)という愛称で親しまれた。
マレーバの家族は、母親がブルガリアの国内テニス選手権で9度優勝するほどの名選手で、父親はバスケットボールのブルガリア・ナショナル・チームでプレーした経歴を持つ、スポーツの名門一家だった。その環境の中でマレーバ3姉妹はテニスに親しみ、マグダレナも自然にテニスを始める。1989年4月に14歳でプロ入り。4大大会の自己最高成績は、1992年の全米オープンベスト8で、この準々決勝では姉のマニュエラと“姉妹対決”の最中に 2-6, 3-5 で故障のため途中棄権を余儀なくされた。この年にイタリア・サンマリノの大会でツアー初優勝を挙げている。
1993年4月30日、マグダレナ・マレーバはテニス史上最大の悲劇を目撃する。ドイツ・ハンブルクの「シチズンカップ」準々決勝でモニカ・セレシュと対戦していた試合中に、セレシュがドイツ人の暴漢ギュンター・パルシェに背中を刺された。この時マグダレナは 4-6, 3-4 とリードされて、チェンジ・コート(奇数ゲームの終了後、90秒間の休憩時間が与えられ、その後コートで打つポジションを交替すること)の合間の出来事だった。
1993年には「マレーバ3姉妹」の3人全員が全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドンの3大会連続で4大大会のシード選手に入った。4大大会の組み合わせ抽選では、世界ランキング上位16名が「シード選手」の資格を得られるが、この時期は3人とも世界ランキング16位以内に入ったのである。同年の全米オープンでは3人姉妹全員が4回戦に進出した。マグダレナは4回戦で止まったが、次女カテリナは準々決勝へ、長女マニュエラは準決勝まで進出している。
2003年6月、マグダレナはイギリス・バーミンガムで行われた「DFSクラシック」(芝生コート、ウィンブルドン前哨戦の1つ)で優勝。この決勝戦では日本の浅越しのぶを 6-1, 6-4 で破った。キャリアを通して日本人選手との対戦も多く、同じ年の杉山愛とは通算11度対戦し、杉山が7勝4敗と勝ち越した。オリンピックのブルガリア代表選手としても1992年、1996年、2004年の3度出場しているが、1996年のアトランタ五輪3回戦で伊達公子に敗れたこともある。
一番上の姉マニュエラは、コーチと結婚してスイスに移住し、1994年2月に27歳で現役を引退した。次女のカテリナも1996年末に27歳で引退している。マグダレナは姉たちの引退後も故国ブルガリアで長く現役を続行したが、2005年10月第3週のスイス・チューリヒの大会を最後に30歳で現役を引退した。現在は母親と3人姉妹が「マレーバ・テニスクラブ」を経営し、後進の育成に携わっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- マグダレナ・マレーバ公式ホームページ
- マレーバ・テニスクラブ (ブルガリア語)