ピクサー・アニメーション・スタジオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピクサー・アニメーション・スタジオ (Pixar Animation Studios)は、アメリカのコンピュータグラフィクスを用いたアニメーションを得意とする映像制作会社。また、ピクサーはレンダリング用のソフト、RenderMan®の開発者でもある。
1985年11月9日創立。CGIアニメーションを産業とする。本社は、カリフォルニア州エメリービル、現在は、ウォルト・ディズニー・カンパニーの完全子会社である。
目次 |
[編集] 歴史
1979年にルーカスフィルム社がニューヨーク工科大学からエド・キャットムル(現社長)を雇用したことにより、創立されたコンピュータ・アニメーション部門がピクサー・アニメーション・スタジオの前身団体。その前身団体は『スタートレックII カーンの逆襲』や『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』を手がけている。その後、1986年、スティーブ・ジョブズ(アップルコンピュータの創業者の一人。現 会長兼CEO)らが1000万ドルで買収(内訳はジョージ・ルーカス自身に500万ドル、ルーカスフィルムに500万ドル)「ピクサー」と名付けて独立会社とした。買収の背景として、ルーカスフィルムは、7年間に及ぶCG作成ツールの研究に拠る現金流出を止めたかったのと、ルーカスフィルムの視点が、CG作成ツールよりむしろ映画制作に移っていたことにあった。独立当時の経営陣は、エド・キャットムル(社長兼CEO)、アルヴィ・レイ・スミス(エグゼクティブ・バイス・プレジデント兼制作監督)、スティーブ・ジョブズ(会長)であった。
当初ピクサーは、ピクサー・イメージ・コンピュータ(RenderManと命名される以前のシステム用に開発された専用コンピュータ)の制作を中核とした、政府機関や医療機関を顧客とする、高級ハードウェアの製造会社であった。またその顧客のひとつにディズニーがあった。(その当時、ディズニーは従来行っていた手間のかかるインクによるアニメーションの作画手法を、コンピュータとソフトを使った能率的で効率的な手法に切り替えるというCAPSプロジェクトに取り組んでいた。)しかし、コンピュータの売り上げは芳しくなかった。そのような状況でコンピュータの売り上げに貢献しようと、コンピュータ性能の実演の為、長期にわたり『ルクソーJr』などのデモンストレーション短編CGアニメを制作していたピクサーの社員、ジョン・ラセター(現クリエイティブ担当エグゼクティブ・バイス・プレジデント)は、SIGGRAPHでその制作物を初公開した。ピクサー・イメージ・コンピュータとソフトウェアを分離してソフトウェア部分を改良し、PhotoRealistic RenderManとして販売を開始する。
コンピュータおよびソフトウェアの少ない売り上げが会社の業務に脅威を与えるにつれ、ラセターのアニメ開発部門は、外部企業のためのCGアニメのコマーシャル制作を始めた。その間ピクサーは、ウォルト・ディズニー・フューチャー・アニメーションとの関係を継続し、ディズニーのCAPS(コンピュータによるアニメの開発支援ポストプロダクションソフトウェア)の重要な技術参加企業になった。1991年のコンピュータ部門の大量の一時解雇の後、ディズニーとCG長編アニメーション映画の制作のため、2600万ドルの契約を行った。
1988年に発表した短編CGアニメ「ティン・トイ」はアカデミー賞で短編アニメ賞を受賞。1995年にはディズニーとの共同製作で世界初のフル3DCGによる長編アニメーション映画「トイ・ストーリー」を発表する。1999年には「トイ・ストーリー2」でゴールデングローブ賞最優秀作品賞を受賞。2003年には「ファインディング・ニモ」でアカデミー長編アニメ賞を受賞した。
[編集] ディズニーとピクサーの関係
ピクサーのすべての主要作品は、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズと共同制作している。開発やアニメ制作、ポストプロダクションなどの制作面はピクサーによって行われ、配給や販売促進はディズニーによって行われ、またそのコストを負担している。ピクサーの最初の長編フィルム『トイ・ストーリー』の公開後の1997年、2社は今後10年間5作品の映画で制作費と興行収入を均等に2分配する契約を行った。また契約の際、映画およびキャラクターの版権はディズニーが有し、分配後の10~15パーセントの興行収入をディズニーに支払うことも契約内容に含まれた。
両社にとって、この契約は非常に有益であり、ピクサーの契約後主要5作品は合計で25億ドル以上の利益を上げている。これは1作品あたりの興行でもっとも高い平均総収入に相当する。
ディズニーとの不調和は『トイ・ストーリー2』の制作時から始まった。この作品はもともとビデオ作品として作られていたが(なので、当初契約にふくまれる5作品とは考えられていなかった)、制作中に劇場用作品に昇格された。ピクサーはこの作品を5作品のうちのひとつと数えるよう要求したが、ディズニーはこれを拒否した。
2004年の早い時期に、2社は新たな契約合意に向けて協議を始めた。ピクサーは制作した作品の版権管理を目指していたが、協議は配給に関する事のみであった。ディズニーとの配給交渉の局面で、ピクサーは『Mr.インクレディブル』や『カーズ』を含め、過去に制作した作品の版権を引き渡すよう要求した。さらにピクサーは経済的自立を望んでいて、自社が制作した作品に対する融資と、興行収入の15パーセントをディズニーに対する配給料とし残りすべてをピクサーの収入とすることを要求した。ディズニー(特に当時のCEOであったマイケル・D・アイズナー)はこれを受け入れなかったが、ピクサーも譲歩しなかった。
長い間協議は中断していたが、2004年9月にアイズナーが2006年9月の任期切れを以てディズニーのCEOを退任することを表明(実際には2005年9月末に前倒しされた)にしたことにより再開された。
2006年1月24日、ディズニーが夏までにピクサーを買収する事で同意したと発表し、ピクサーは同年5月5日付でディズニーの完全子会社となった。これによってピクサーは「経済的自立」という自社の思惑とは裏腹に、作品の版権を争っていたディズニーの傘下に入った。なお、ピクサーCEOである、スティーブ・ジョブズは、ディズニーの筆頭株主となり、またディズニーの役員に就任した。
[編集] 作品
[編集] 長編
- 『カーズ』までは、全てウォルト・ディズニー・ピクチャーズとして公開。なお、ピクサーがディズニー傘下となったため、今後の作品の公開ブランドは未定。
- トイ・ストーリーToy Story(1995年)
- バグズ・ライフA Bug's Life(1998年)
- トイ・ストーリー2Toy Story 2(1999年)
- モンスターズ・インクMonsters Inc.(2001年)
- ファインディング・ニモ Finding Nemo(2003年)
- (第76回アカデミー賞長編アニメ受賞)
- Mr.インクレディブルThe Incredibles(2004年)
- (第77回アカデミー賞長編アニメ受賞)
- カーズCars(2006年)
- レミーのおいしいレストランRatatouille(予定)(2007年)
- W.A.L.-E (2008年?)
- トイ・ストーリー3Toy Story 3 (????年)
[編集] 短編
- ※『アンドレとウォーリーB.の冒険』は正確にはルーカスフィルムで制作されている。ただし実際の制作にかかわったスタッフの多くは、後にピクサーへ移っている。
- 1984年 - 『アンドレとウォーリーB.の冒険』 The Adventures of Andre & Wally B.
- 1986年 - 『ルクソーJr.』 Luxo Jr.
- 1987年 - 『レッズ・ドリーム』 Red's Dream
- 1988年 - 『ティン・トイ』 Tin Toy(アカデミー賞受賞)
- 1989年 - 『ニック・ナック』 Knick Knack
- 1991年 - 『ルクソーJr./Surprise』『ルクソーJr./Light and Heavy』
- 1997年 - 『ゲーリーじいさんのチェス』 Geri's Game(アカデミー賞受賞)
- 2000年 - 『フォー・ザ・バーズ』 For the Birds(2001年第74回アカデミー賞短編アニメ受賞)
- 2002年 - 『マイクとサリーの新車でGO!』 Mike's New Car
- 2004年 - 『バウンディン』 Boundin'
- 2005年 - 『ジャック・ジャック・アタック!』 Jack-Jack Attack
- 2006年 - 『ワンマンバンド』 One Man Band
- 2006年 - 『メーターと恐怖の火の玉』Mater And The Ghostlight
[編集] 関連項目
- ピクサーの長編作品全てに見ることができる、仲間内ジョーク。