ハンプシャー州
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ハンプシャー州 | |
ハンプシャー州(Hampshire、略称:ハンツ(Hants))はイギリスのイングランド南岸にある州である。(西から時計回りに)ドーセット州、ウィルトシャー州、バークシャー州、サリー州、ウェスト・サセックス州に接している。面積は1455平方マイル (3,769km2) で、東西約55マイル (90km)、南北40マイル (65km) の幅がある。州都は51° 03′35″N 1° 18′36″Wにあるウィンチェスターである。2001年の国勢調査によると、公式の区域には124万人が、行政上は独立しているポーツマスとサウスハンプトンを含めた形式上の州には、全部で160万人がいる。
ハンプシャー州は海沿いのリゾート地、ポーツマスの軍港、ボーリュの自動車博物館などの観光施設のある、多くの人が休日に訪れる場所である。ニューフォレスト国立公園は南ダウンズの広大な地域として国立公園になる予定の州境にある。ハンプシャー州は長い海軍史があり、イングランドの最も大きい港のうち2つが、この州の沿岸にある。ハンプシャー州には作家ジェーン・オースティンとチャールズ・ディケンズの家があることで知られている。
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[編集] 自然地理
ハンプシャー州の地形は2種類に分かれる。南部は海岸沿いにハンプシャー湾があり、パーベック島とドーセット、ワイト島により海の侵食を防いでいる無人の始新世と漸新世の土砂の割合が相対的に高い地域である。こうした低く平らな土地は、ニューフォレストを形成する広大な地域のヒースと森林地帯を支えている。ニューフォレストは多様な野生生物の主役であるヒース、大草原、針葉樹林、広葉樹林が入り交じっている。森林は景観と野生生物を守るために開発と農業利用が制限される国立公園として守られている。ニューフォレストの広大な地域は、一般の利用が可能で、家畜の牛、豚、馬、数種類の野生の鹿などの牧草地によって牧草地の極相を保っている。脆い岩と低地に流れ込む潮位の変化による侵食は、数箇所の大きな河口とリアス式海岸(特に12マイル (19km) にわたってサウスハンプトン・ウォーターと大きく入り組んだポーツマス港)を作り上げている。ワイト島は無人の岩礁がソレントを作りながら侵食してきたハンプシャー沿岸にある。
ハンプシャー州の北部と中部は、緩衝地帯がはソールベリ平地と南ダウンズの南イングランド白亜構造になっている。こうしたところは南部とは粘土層で境界をなす急傾斜地のある高い丘陵地になっている。丘陵地は北はテームズ渓谷の急峻地、南はなだらかな傾斜になっている。ハンプシャーの最高地点は、高度286m(938ft)のパイロットヒルである。低地は野生の花と昆虫にとって重要な石灰質の牧草地になっている。嘗てハンプシャーは殆ど農業に適していない土地だったが、20世紀前半に食料需要が増えたことで低地の農地開発が行われた。広大な低地は、現在「東ハンプシャーの自然の美しさが傑出した区域」により農業被害の拡大を防いでいる。イッチェン川とテスト川は白亜岩から流れ出る森林渓谷を通ってサウスハンプトン・ウォーターに流れ込む鱒の生息する川である。低地の渓谷にはセルボーンが横たわり、渓谷を取り巻く田園地帯は、自然史におけるギルバート・ホワイトの先駆的観測地であった。
ハンプシャーは英国諸島の殆どの地域よりも温暖で、島の南端で海の影響を安定させているが、大西洋沿岸の更に厳しい気候からは守っている。イギリスの年平均気温が摂氏10. 2度から12度なのに対し、ハンプシャーの年平均気温はこれより高く[1]、年平均降雨量は741~1060mm[2]、年間の平均日射量は、1541時間を超えている[3]。
[編集] 歴史
南ダウンズの白亜低地とソールズベリー平野の南縁は、新石器時代に開拓され、当時の開拓者は、丘状の堡塁を造り、ハンプシャーの渓谷を農地にしたかも知れない。ハンプシャーはケルト族がGwentやY Wentと名付けた地域にあり、サマーセットとウィルトシャーを含んでいる。ローマの支配を受けた時代、ハンプシャーは侵略軍に最初に攻め落とされた一つである。ハンプシャーはサクソン族が支配するまでジュート族に占領された。ハンプシャーは755年に作られた記録のあるサクソン族の国の一つだが、ドーセットとサマセットはブリトン族に撃退されたので、2世紀に亘ってサクソン族の支配が及ぶ西の端であった。西ハンプシャーに侵攻したサクソン族がウェセックス王国の中心になってから多くのサクソン王がウィンチェスターに埋葬された。ウィンチェスターの銅像は、9世紀にこの地域を安定させたアルフレッド大王を称えている。
ノルマン人征服期以降は狩猟の森としてニューフォレストを作ったノルマン王お気に入りの場所であった。44の村落に分かれていたとドゥームズデイ・ブックに記録されている。12世紀から港が重要になってゆき、大陸との貿易で栄え、毛織物、布、漁業、造船業が興った。
数世紀以上城と城砦の数々がサウスハンプトンとポーツマスの港を守るためにソレントの海岸沿いに造られた。ポーツマス港を見渡せるノルマン式のポーチェスター城があり、ソレントの河口の砂嘴に位置するハースト城とサウスハンプトン・ウォーターの河口の砂嘴にあるキャルショット城、ネットレー城など城砦の数々がヘンリー8世により建設された。サウスハンプトンとポーツマスは、深いところでもコンバインシェルターが使える数少ない場所であるために、プールとブリストルのような競争相手が衰退しても、今も重要な港になっている。サウスハンプトンはメイフラワー号やタイタニック号などの有名な船が多く母港とした港で、後者はハンプシャーっ子が沢山乗り組んでいた。
ハンプシャー州は第二次世界大戦でポーツマスが大軍港、オルダーショットが陸軍基地、サウスハンプトン・ウォーターがネットレー軍病院として、ソールズベリー平野とパーベックの訓練区域に近いことと併せて重要な役割を演じた。スピットファイヤーなどの空軍機を設計したスーパーマリンは、サウスハンプトンに拠点を置き、困難な都市爆撃を指揮した。オルダーショットは今もイギリス軍の主な基地のひとつになっている。
ハンプシャー州は嘗て「サウスハンプトンシャー」と呼ばれ、ヴィクトリア朝の地図にはそのように載っている。この名称は正式には1959年4月1日に「サウスハンプトン州」から「ハンプシャー州」に変更された。郵便の宛名には良く省略したHantsが使われている。
ワイト島は古くから一定の目的でハンプシャー州の一部として扱われてきたが、行政機構は1世紀以上独立した形になっていて、1890年に独自の州評議会が作られている。ワイト島は1974年に完全な形式上の州になった。警察と保険行政以外はワイト島とハンプシャー州には公式には行政上の関係はないが、多くの期間が、依然としてハンプシャー州とワイト島で連携している。
ボーンマスとクライストチャーチの町も、古くからのハンプシャー州の町だが、1974年の地方制度改革でドーセット州に移った。
[編集] 経済
ハンプシャー州は比較的豊かな州で、域内総生産 (GDP) は229億ポンド(サウスハンプトンとポーツマスを除くと163億ポンド)である。この数値はイングランドで6番目の規模で、北アイルランドと同規模で、それぞれ全体としてイギリス経済の2%を占めている[4]。
ポーツマスとウィンチェスターは、州で最も高い労働人口密度で、従って都市部に通勤する人の割合が高い。サウスハンプトンは仕事の数が最も多く、市内外から通勤する人が多い。ハンプシャーは失業率が全国平均より低く(全国平均が3.9%の年に1.9%)、2005年3月現在1.1%に低下している。全国平均が42%なのに対して、39%が大企業で働いている。ハンプシャーは工場部門を除いてハイテク産業で働く割合が全国平均より高い。人口の25.21%が、公営企業で働いている。[5]
ハンプシャーの農村部の多くが、伝統的に農業に頼っているが、周辺の殆どの州より農業の割合は低く、殆ど酪農に集中している。雇用との関係では農業は20世紀前半から重要度は減ってきていて、現在農業に従事しているのは、人口の1.32%である。ハンプシャーは長らく猪とベーコンの原料になる帰化動物の「ハンプシャー豚」と関係がある。[6]
ニューフォレスト区域は国立公園で、ここでは観光が1992年に750万人が訪れる重要な経済になっている。[7]南ダウンズとサウスハンプトンとウィンチェスターの都市も観光客を呼び込んでいる。サウスハンプトンボートショーは1年で最大の催し物の一つで、ハンプシャー全域から人々が訪れている。2003年は全部で日帰りの観光客が3,100万人、長期滞在が4,200万人いた。[8]
サウスハンプトンとポーツマスの都市は、どちらも重要な港湾都市で、サウスハンプトンはコンテナー貨物輸送の割合が高く、ポーツマスは海軍基地がある。ドックは大量の雇用を生み出してきたが、再び機械化で経済の多様化に直面している。
[編集] 人口
2001年の国勢調査[9] によると、サウスハンプトンとポーツマスを含む州の人口は1,644,249人、含まない人口は1,240,103人で、217,445人がサウスハンプトンに住み、186,701人がポーツマスの人口である。両市を含まない人口は、1991年の統計より5.6%増え、ポーツマスに変動がないのに対してサウスハンプトンは6.2%増となっていて、全体としてイングランドとウェールズの増加率2.6%に匹敵する伸びである。イーストレイとウィンチェスターは、それぞれ最速の9%の増加率である。年齢構成は全国平均と類似している。
住民の96.73%はハンプシャー生まれだが、サウスハンプトンは92.34%に低下している。主だった少数民族は、アジア系が1.34%、混血が0.84%となっている。0.75%が外国からの移民である。73.86%がキリスト教、16.86%は特定の宗教がない。キリスト教以外ではイスラム教(0.76%)とヒンドゥー教(0.33%)が主な宗教である。
[編集] 政治
ハンプシャーは17の選挙区に分かれている。10選挙区が保守党議員、4選挙区が自由民主党議員、3選挙区が労働党議員が選ばれている。労働党はサウスハンプトン選挙区(テストとイッチェン)とポーツマス北選挙区などの大都市から選ばれている。保守党は殆どが農村部の選挙区(オールダーショット選挙区、ニューフォレスト西選挙区、ニューフォレスト東選挙区、ハンプシャー東北選挙区、ハンプシャー東選挙区、ハヴァント選挙区、ゴスポート選挙区、フェアハム選挙区)から選ばれている。自由民主党はウィンチェスター選挙区、ロムゼー選挙区、ポーツマス南選挙区、イーストレイ選挙区から選ばれ、いずれも町の周辺に地盤がある。
2005年、ハンプシャー州評議会選挙で保守党が43.69%、自由民主党が36.01%、労働党が16.08%を獲得した。従って、46議席が保守党、28議席が自由民主党、4議席が労働党に割り振られた。[10]サウスハンプトン市評議会は州から完全に独立しているが、18議席が自由民主党、15議席が労働党、15議席が保守党に割り振られている。[11]ポーツマス市評議会は同様に独立しているが、20議席が自由民主党、18議席が保守党、7議席が労働党、1議席が無所属となっている。[12]
[編集] 市町村
ハンプシャーの州都は嘗て古代ウェセックス王国の都だったウィンチェスターである。サウスハンプトンとポーツマスの港湾都市は、1977年に独立した独自の行政機構として分かれたが、依然形式上はハンプシャーに含まれている。フェアハム、ゴスポート、ハヴァントは、この2つの大都市に挟まれた海岸に沿って延びる広域都市圏にあって発展してきた。サウスハンプトン大学とサウスハンプトンソレント大学(旧サウスハンプトン専門学校)のあるサウスハンプトン、ポーツマス大学のポーツマス、ウィンチェスター大学(旧ウィンチェスター大学学寮部(アルフレッド王大学))のウィンチェスターの3市は全て大学都市である。
ハンプシャーはロンドン周辺の開発制限区域の外側にあるが、首都と結ぶ鉄道と自動車道に恵まれ、南東部は共通して1960年代から宅地開発が進んでいる。北部のベイジングストークは州都から企業と金融の中心部が広がってきている。オーダーショット、ポーツマス、ファーンボローは、それぞれ陸軍、海軍、空軍と強い結びつきのある都市である。ハンプシャーにはアンドーヴァー、ビショップスウォルサム、リミングトン、ピータースフィールド、リングウッド、ロムゼー、ホイットチャーチという市場町もある。
人口別の都市名(2004年現在)
[編集] 文化、芸術、スポーツ
ハンプシャーは豚と猪と長い付き合いがあり、18世紀からハンプシャーっ子は「ハンプシャーの豚」として知られている。[6]ハンプシャーは文学と関連があり、ジェーン・オースティン、チャールズ・ディケンズ、チャールズ・キングズレーなどの作家の生まれたところである。オースティンは父親がスティーヴントン教区牧師であったハンプシャーで人生の大半を過ごし、作品は全てハンプシャーで書き上げた。ハンプシャーはヴィジュアルアートとも関係があり、ジョン・エヴァレット・ミレーはハンプシャーっ子だといい、都市と田舎は、L.S.ローリーとJ. M. W. ターナーの絵画の主題になっている。ハンプシャーは探検家ローレンス・オーツ、芸能人のベニー・ヒルとクレイグ・デイヴィッドが生まれたところでもある。
ハンプシャーの水が割合安全なために、多くのヨットクラブと数件の工場がソレントにあることで、ハンプシャーはイギリスで最も船の往来の多い地域の人になることができた。クリケットはイングランド南東部で大いに発展し、1750年にハンブルドンで結成されたチームは、イングランドで初めてできたチームの一つである。ハンプシャー州クリケットチームは今日シェーン・ウォーンを主将に第一級のチームに成長している。ハンプシャーにはFAプレミアリーグのポーツマスFCとフットボールリーグのサウスハンプトンFCというサッカーチームがあり、古くから激しく対立して来た。
ハンプシャーの州花は、プラントライフよるとDog Roseである。[13].
[編集] 交通機関
サウスハンプトンとイーストレイを結ぶ鉄道駅のある国際空港サウスハンプトン空港とワイト島やヨーロッパ大陸と結ぶイギリス海峡(ラマンシュ海峡)を横断するフェリーがある。ロンドンからウェイマスまでの南西本線は、ウィンチェスターとサウスハンプトンを通り、ブリストルからポーツマスまでのウェセックス本線も、ハンプシャーを通っている。M3自動車道はロンドンと結んでいる。ウィンチェスター近郊を走るトワイフォード草丘の建設は、古代に人々の往来があった場所(ドンガス道)と考古学上の著しい特徴がある場所を通ることから論争を呼び起こしている。M27自動車道は主な広域都市圏に向かうバイパス道と南部の海岸の村落を結ぶ道路になっている。他に重要な道路としてA3、A31、A36がある。
ハンプシャーの自動車所有率は高く、イングランドとウェールズが自家用車のない割合が26.8%なのに対して15.7%となっている。電車(通勤では4.1%に対して3.2%)とバス(7.4%に対して3.2%)を利用する平均率は低いが、自転車(2.7%に対して3.5%)と自動車(55.3%に対して63.5%)は高くなっている。[14]
[編集] 関連項目
- en:List of places in Hampshire(ハンプシャーの名所一覧)
- List of Parliamentary constituencies in Hampshire
- List of images of Hampshire
- Business in Hampshire
[編集] 脚注
- ↑ Met Office, 2000. 連合王国の年間平均気温
- ↑ Met Office, 2000. 連合王国の年間平均降雨量
- ↑ Met Office, 2000. 連合王国年間平均日射量
- ↑ ハンプシャー州評議会2002年版 経済指標
- ↑ ハンプシャー州評議会2004年版「ハンプシャーの横顔」
- ↑ 6.0 6.1 ハンプシャー州評議会2003年版「報道発表:ハンプシャーの豚には家がある。」
- ↑ ニューフォレスト郡評議会(日時不明)「観光に関する質問と答え」
- ↑ ハンプシャー州評議会『イギリスの観光調査と大ブリテンの日帰り余暇調査』2004年版「観光の実体と指標」
- ↑ 国立統計局とハンプシャー州評議会(2003年版)2001年国勢調査資料
- ↑ ハンプシャー州評議会(2005年)地方選挙結果
- ↑ サウサンプトン市評議会(2005年)地方選挙結果
- ↑ ポーツマス市評議会(2005年)議員一覧
- ↑ BBCニュース(2004年5月5日)イギリス各州で州花の選考
- ↑ ハンプシャー州評議会(2005年)「実態と指標」
[編集] 参考文献
- ブリタニカ百科事典(1911年) 「ハンプシャー」(英文)
- Draper, Jo. 1990. Hampshire. Wimborne: Dovecote Press. ISBN 0946159823
- Pigot & Co's Atlas of the Counties of England(1840年) London: J Pigot & Co.
[編集] 外部リンク
- ハンプシャー州評議会
- BBCハンプシャー局
- ハンプシャー写真集
- Hantsphere local history
- West, Ian, 2005. 「ウェセックス沿岸とイングランド南部の地理」(サウスハンプトン大学)
- ハンプシャーのニュースと情報
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