ニコライ堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニコライ堂(―どう)は東京都千代田区神田駿河台にある日本ハリストス正教会の本部である府主教座・東京大主教座聖堂であり、正式名称を東京復活大聖堂という。二階建てで、大きなドーム型屋根が特徴である。ニコライ堂の名は日本に東方正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなむ。
様式はビザンティン式で、聖ニコライの依頼によりロシアの建築家ミハイル・シチュールポフが基本設計図を作成。お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが設計の一部を修正したうえで監督にあたり、1891年に竣工した。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で上部が倒壊したのち、コンドルを敬愛する建築家岡田信一郎によって改修され、1929年に復興した。この際、耐震上の理由から構造を補強したり、塔を低くするなど、外観が一部変更された。
ニコライ=カサートキンは1970年に列聖され「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれるが、ニコライ堂の正式名称「東京復活大聖堂」が指す通り、イイスス=ハリストス(イエス=キリストのギリシャ語読み)の復活を記念する聖堂であり、聖ニコライを記念する聖堂ではない。但し大聖堂内の一角には「亜使徒聖ニコライ聖堂」が設けられ、敷地内には「亜使徒聖ニコライ記念聖堂」が存在する。
かつては二階バルコニー部分にイコノスタシスを備えた小聖堂が設けられていたが、安全上の問題などにより移設され、現在は一階の左右(南北)両翼部分に小聖堂(南側=亜使徒聖ニコライ聖堂、北側=ラドネジの聖セルギイ聖堂)が設けられている。
1992年より9年の歳月をかけて修復が行なわれ、内陣のイコノスタシス、壁面などが美しさを取り戻している。
敷地内には神学校、信徒会館であるニコライ会館、伝道会などに使われる旧ニコライ学院、東京大主教(日本府主教を兼任)館、亜使徒聖ニコライ記念聖堂がある。月曜を除いた毎朝・夕に神学校生徒による公奉神礼(礼拝)が行われている。
[編集] アクセス
[編集] 関連項目
- 教会建築
- 山下りん イコンを描いたが現存していない
- 聖橋
- 根本陸夫(元野球選手)・久慈あさみ(女優) ともに同教会信徒で遺骨はここに安置されている。
- アファナシイ高木東六(作曲家)・ガウリイル内井昭蔵(建築家) ともに正教徒であり、葬儀はニコライ堂で行われた。
[編集] 外部リンク
「御茶ノ水の泉通信」…東京復活大聖堂:ニコライ堂の紹介サイト
この「ニコライ堂」は、キリスト教に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。 |