ドゥーワップ
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ドゥーワップ(doo-wop)はポピュラー音楽における合唱のスタイルの一種。ドゥワップ、ドゥー・ワップ、ドゥ・ワップとも表記される。1950年代半ばから1960年代初頭のアメリカで隆盛し、数多くのコーラス・グループが生まれた。
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[編集] 概要
ドゥーワップの特徴は、メロディー(主旋律)以外は「ドゥーワッ」「シュビドゥビ」「ドゥビドゥワ」といった意味を持たない発音でのリズミカルな歌い方(スキャット)にあり、それが「ドゥーワップ」の名の由来となった。
グループの構成は3人から6人。ステージやレコードでは通常は簡素な楽器の伴奏がつく。メンバーそれぞれの担当パートはほぼ決まっており、主旋律を歌うリード・ボーカル、和音(ハーモニー)の中高音部を担当するテナー、中低音部を担当するバリトン、低音部を担当するベースに大きく分けられる。人数が少ないグループや楽器の伴奏がつくのを前提としたグループではバリトンやベースがいないこともある。テナーとバリトンは和音だけでなく対旋律(カウンター)や主旋律に対する掛け声(コール・アンド・レスポンス)で曲を盛り上げる役割を担う。ベースは楽器のベースの音とフレーズを模して「ボン」「ドゥン」というような歌い方をすることもある。
ポピュラー音楽のコーラス・グループの多くはドゥーワップの歌唱スタイルを取るが、ドゥーワップという言葉は「1950年代の黒人音楽の一ジャンル」という限定されたイメージが強いため、通常はそのジャンルとスタイルを指す以外の使い方はしない。なおア・カペラは楽器の伴奏がない合唱全般を意味する言葉であり、無伴奏のドゥーワップを特にア・カペラと呼んで区別することがある。
[編集] 歴史
ドゥーワップのルーツはアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)奴隷の労働歌に遡り、黒人教会で聖歌隊が歌うゴスペルによって基本的な形式が作られた。やがてゴスペルを基礎にジャズのメロディー、和声、歌詞、伴奏が取り入れられたものが商業音楽として1930年代に出現する。これが初期のドゥーワップで、ミルズ・ブラザーズ、インク・スポッツなどが代表的グループとされる。当時はメロディーを聴かせるための甘くゆったりとした曲が主流だった。
戦後になり、ドゥーワップのコーラスは肉体的・経済的に敷居の高い楽器の習得を必要としないことから都市の黒人の少年たちの間で広がり始め(いわゆるストリート文化)、1950年代半ばからは一大ブームを迎える。職業作家の手によらないシンプルなラブソングが増え、新たにテンポの速いリズムを強調した曲や、コミカルでユーモラスな曲も出てくるようになり、ロックンロールとともに若者文化の流行を担った。
アーティストの多くは黒人のグループで、残されたレコードも非常に雑多である。そもそもスターになろうという野望もない素人同然のグループが小遣い稼ぎでステージに立ったりレコードを吹き込んだりしたものも多い。しかし商業音楽としての可能性を見出されると、音楽性をより大衆向けに変えて成功したグループも現れた。「オンリー・ユー」で知られるプラターズや、「ラストダンスは私に」などがヒットしたドリフターズらである。ブームは数年で冷めたものの、ドゥーワップは1960年代のモータウンに代表されるソウルミュージックの隆盛の大きな原動力となった。
ドゥーワップの歌唱スタイルはその後のソウル/R&Bだけでなくロックやポップスにも大きな影響を与えた。ムード歌謡のコーラスもドゥーワップの影響下にある。
[編集] 関連項目
- 山下達郎
- ラッツ&スター (シャネルズ)
- とんでも戦士ムテキング(エンディングテーマがドゥーワップ)