セクト
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- fr:secteから翻訳。著者: Iznogoud, Pautard, Bouette, Cchasson, Mr Patate 他。2006年1月翻訳。
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[編集] 定義
[編集] 語源
「セクトSecte」という言葉は「後を追う・続く・受ける」を意味するラテン語「secta」から派生したものという説がある。また、「結ぶ・繋がる」を意味するラテン語「religare」が「宗教religion」となったことに関連して、「切る・断つ」を意味するラテン語「sectare」から派生したものとする語源学者もいる。このように「セクト」とは、既に認知・確立されている宗教の「分派」、もしくは、思想的指導者のもとに集まった人たちの「集まり」、を指す。こうしたことから、仏教、ヒンドゥー教、神道、道教などから派生した団体を指して「セクト」という表現をする。しかしながら、前出の宗教が離脱や分裂に対して寛容であったのに対し、普遍性を求めたキリスト教は、離脱や分裂そのものに反対してきた。キリスト教国で「セクト」の語が否定的な意味合いを持つのは、こうしたことによる。
現在の主要宗教の幾つかは、それ以前に存在していた宗教のセクト・分派が起源になっている。例えばキリスト教は、ユダヤ教のセクトとして派生し、ユダヤ教の教義を継承している。これらの宗教は、時を経るにつれて信者を増やし、(別個の宗教として)公に認知されたのである。
ラテン語の「secta」に相当するギリシャ語は、「haireis (=選択、教義の好み)」である。「hérésie (=エレジー)」とは元々、思想の学派(学校)のことであった。「エピクロスの園」は、そうした「hairesis」であった。古代においては、軽蔑的なニュアンスは無かったのである。後世になり、ある特定の宗派が政治権力(例:コンスタンティヌス1世)と結びつくに至ると、「orthodoxie(=正統派)」という観念や、「hétérodoxie(=異端・異説)」という観念が発生した。正統とは「王のセクト」に過ぎなかったのではないか。これを肯定する著作もある。
[編集] 社会学的定義
19世紀にマックス・ヴェーバー(Max Weber)とエルンスト・トレルチ(Ernst Troeltsch)の二人の社会学者が、セクトとは「社会に対し強硬的かつ断絶的な姿勢を持つ過激主義的宗教グループ」であると定義した。これにより、教会は社会による二極分化的な評価に晒され、多くは穏健な社会的地位を獲得した。
この定義は20世紀末まで受け継がれたのであるが、近代社会において「セクト」の意味合いが変化していることから、今日の現状に即していないと考える人たちがいる。このテーマについては様々な議論がおこるため、「セクト」の語義と定義についての意見の一致は難しい。こうした状況において、社会学的定義を最良のものとみなす知識人もいる。
この社会学的定義においてはセクトと社会の断絶性が根本的な判断基準となる。この断絶こそが常に問題とされるのであり、見方によって、セクトに問題があるとされたり、社会の側にこそ問題があるとされる。ある者は損失だと言い、ある者は利益だと言うように、解釈は分かれる。一方にとっては予防策であり適切な懲罰であるが、他方にとっては迫害なのである。事態は、対立や内戦に発展しかねない。
プロテスタントが長い間、カトリック教会から「異端」とみなされて、ルネッサンス期には弾圧を受け、ヨーロッパにおける長期の戦争(フランスやドイツにおける内戦、宗教を異にする国による戦争)や虐殺(1572年8月23日のサン・バルテルミの虐殺、マグデブルグ占領など)に発展したのはこうしたことによる。その数世紀前、「hérésie cathare(=異端カタリ派)」に対して行われた宗教裁判による迫害は、それ以上に激しいものであった。
[編集] 近代
1980年代に起きた多くの問題(集団自殺、政治金融スキャンダル、労働法違反、不法医療行為など)をうけて、「セクト」の語は軽蔑的な意味合いを持つようになり、全体主義で危険なグループ、もしくは、信徒(会員)を社会から隔離・断絶した状態におく組織、を指す言葉となった。 「Association de défense des familles et de l'individu (ADFI、家族と個人を守る会)」、「Centre de documentation, d'education et d'action contre les manipulations mentales (CCMM、精神操作防止資料教育活動センター、マインドコントロール救済センター」、「Centre Roger Ikor (ロジェ・イコール センター)」等の反セクト運動団体が、セクト指定の新たな判断基準を定め、一定の成果を収めている。
[編集] 判断基準
セクト指定の判断基準は以下の通り。
- 信徒(会員)の精神的操作
- カリスマ性を持つグル・教祖・指導者や、その側近への権力集中
- ピラミッド型組織
- 財産の接収
- 唯一排他的な教義
(認知は低いが)この他の判断基準を加える者もある。
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- 指導部の管理
- 情報源の管理、外部での社会活動の抑制、外者との連絡を断ち切ることの奨励
- 無謬性・神聖な教義
- 自分たちの教義が唯一の真理であり、救済への唯一の道と説明。教義に対する全ての批判の抑制
- 逸脱した神秘主義
- 事件と自然現象の因果づけ
- 純粋性
- 到達不可能な理想を示し、信徒(会員)の行動を規制し、常に更なる努力を求める
- 独裁性
- グル・教祖の強い権力、個人崇拝
- 秘密教義(秘教主義)
- 外部への漏洩が厳禁とされる秘密の教義
- エリート主義(秘教主義)
- 信徒(会員)が他者よりも優れているとする
- 規則を破った場合の嫌がらせや強制懺悔
- 追放
- 脱退者との接触の禁止(カトリックの「破門」に似た概念)
- 信者が自分たちの子供を酷く扱うなどの教義的義務
- 「エホバの証人」にみられる異教祭の禁止、体罰、その他
困難な状況により、フランス政府は人権会議において以下のような発表を行った。
「1995年の報告書に含まれているセクト団体のリストは、(中略) 国会の事務資料である。別の言い方のすれば、法的な効力は一切ない。(中略) 幾つかの地方自治体が、このリストを根拠として行政措置を実施したが、それらは全て裁判所によって無効とされている。フランス政府は、セクト団体リストの本質が正しく認知されるよう、行政機関の関心を促している。このリストは、あくまで国会の事務資料であり、行政措置を実施するための根拠とはならないのである」(2002年9月12日、ワルシャワでの人権会議、「基本的自由:思想・良心・宗教・信仰の自由」に関する第7会議において)
[編集] 異論・批判
こうした判断基準は全員が同意しているものではない。また、セクトとみなされている団体についてこれら全ての判断基準が当てはまっているということでもなく、セクトとみなす基準がこれらだけであるということでもない。実際のところ、既存の判断基準には当てはまらず、規模も小さな新しい宗教グループが出現しているが、それらがセクトではない事は保証されない。
今日では、教義そのものよりも、信徒(会員)に対する態度を考慮する。宗教団体ではないグループもセクト扱いするのは、このためである。
英国で遣われている二つの単語を比較してみると、フランス語における曖昧さを打ち消すことが出来る。先ず「sect」であるが、これは語源学的定義によるものであり、「sectes protestantes(プロテスタント派)」のように悪い意味合いを持たないものである。次に「cult」であるが、これはフランス語の「secte」の社会学的定義に相当するものである。
[編集] 反セクト運動
反セクト運動を行う団体は、セクトは個人と社会の安寧を脅かすと捉えている。そして、情報提供や合法的運動を通じ、また必要とあれば裁判を起こすなどして、セクト団体を遠ざけようとしている。「セクトとは、社会と断絶し、社会に対立する全体主義的なグループである」という見解の下、市民を守るという理念で活動している。セクト団体が行っている精神操作が、肉体的・精神的・知能的・人間関係的・宗教的・哲学的・教育的・連帯的・政治的・経済的な面において人間を破壊すると考えているのである。
また、こうした運動はセクトが社会を支配する脅威についても懸念している。真実を保持していると信じている者はそれを他者に押し付けることを絶対に諦めないため、セクト団体は成長し、その幾つかは信者(会員)より搾取して得た 強大な資金を有していることから、経済・政治・司法の中枢に侵入しないとも限らないからである。
今日の世界の安全保障それ自体が、宗教戦争の時代がそうであったように、既に蝕まれていると考える者もいるし、セクト同士の闘争やセクト的宗派を含む宗教同士の闘争が、既に地球規模に拡大していると考える者もいる。また、アメリカ政府がヨーロッパ諸国の問題に介入している、あるいは、ヨーロッパがセクトから法的に身を守ろうとしている一方でそのセクト団体がアメリカで好意的な支援を受けている、と指摘する者もある。
反セクト団体は、科学者や社会学者たちはサイエントロジー・神の子・統一教会・オウム真理教・創価学会などのセクト団体の危険性を過小評価している、と主張している。実際、幾つかの研究に対してセクト団体からの資金提供があったことが明らかになっている。このように、反セクト団体は、客観性の欠如を告発したり、セクトの擁護者となっている社会学者を公表したりしている。
[編集] セクト擁護者
セクトの擁護者は、反対派が思うところの損害を引き起こす者というイメージを相手にせず、セクトを迫害の被害者だと説明しようとする。そして、自分たちは「魔女狩り」に遭っているのであり、精神性と思想の自由に対する現代版の宗教裁判が行われているのだと、堂々と主張するのである。彼らにとって反セクト思想とは、恐怖感を引き起こすことを目的としたもので、脱退者の証言を元に世論を操作する不寛容の合理化なのである。
彼らはまた、セクトの判断基準(精神操作・権力集中など)が曖昧で、広く認知されている宗教はもとより、企業やスポーツクラブなどの非宗教団体の殆どにも当てはまり、また、セクトの呼称自体が恣意的だと主張している。
彼らの主張によれば、反セクト運動は、標的とする団体を指名することに集約されている。団体の信用をなくさせようとする目的の、真実に基づかない中傷的な運動が展開されていると彼らは考えている。彼らの標的のひとつが「UNADFI(個人と家族を守る会全国連合)」であり、セクトに対する重大な間違った考えをしていると非難し、とりわけ小児性愛の問題については、証言が嘘であると非難している。 セクトという語にに侮蔑的な意味が加わったことにより、セクト擁護者やセクトとされる団体は、より中立で好意的な言葉である「新宗教運動(新宗教団体)」の呼称を好むようになっている。
議論にあたり、セクトに関する国会調査委員会の委員長である社会党議員ジャック・ギュイヤーに対する2000年3月パリ裁判所での告訴の際にわかった新事実について書き加えておくことは興味深い。2000年3月23日(木)の「ル・モンド」は次のように記している。
国会調査委員会の作業は「真面目な調査」ではなかった……ギュイヤー氏が、告発の裏付けとなるような「真面目な調査だと証明できる能力を持っていなかった」とパリ裁判所は判断した……ギュイヤー氏は、委員会の作業は「秘密」の性格を有するものであることを述べるばかりであった……調査といっても、セクトとみなされている60余の団体に対して質問書を送っただけであった……国民が権威や権限を疑うことのない国会議員・委員長によって中傷的な発言がなされたことから、原告の損害は大きい……
[編集] 論争
セクトの語意と適用に関する論争の大部分は、その語意の多様性起因するが、以下のような事例をみることができる。
- 語源学的意味
- 既存宗教の新たな宗派(教派)
- 強い否定的な意味
- 信徒(会員)を精神的に操作したとして罰せられたセクト的団体全て(学術的に厳密に定義される「破壊的カルト」)
- 広義での否定的意味
- 搾取目的で信徒(会員)を精神的に操作していると疑われている全ての組織(世俗的に無責任に用いられる蔑称としての「カルト」)
- 信仰体系や独自思想を持ち、精神的操作を行っていないと思われる「新たに始まった宗教」という意味(新宗教)。
市民によって付け加えられた2つの従属的意味が否定的なものであることから、宗教に批判的な者は、(問題のある)「セクト」と「宗教」の言葉の違いを最小限に留め、セクトの問題を宗教全体の問題としたいという思惑から、「新たに始まった宗教(=新興宗教)」という言葉を遣っている。これに対し、主要な宗教の擁護者は、「広義での否定的意味」を採用し、彼らが危険と判断する団体をおしなべてセクトと看做す。他方で、信教の自由を重んじる者は、有害性についての客観的判断を尊重し「強い否定的な意味」を採用するに留め、精神操作を行っていない宗教・思想団体に対する不当な疑惑が起きないよう、この用語の適用を控えている。
こうした異なった見解は、精神操作の概念を特定することの難しさに起因するものであり、とりわけ、宗教的「教化」と区別することが難しい。
[編集] セクト関連事件
1978年から1997年にかけて、幾つかのセクト団体が話題を振りまいた。世論にショックを与えたのはセクト団体会員の集団自殺であり、その中に子供も含まれていたことであった。捜査によって、集団自殺の論理がしばしば問題として取り上げられている。主な例を以下に列挙する。
- 1978年11月18日 - 人民寺院による914人の集団自殺。うち子供が260人。ギアナのジョーンストーン寺院で服毒自殺。
- 1985年9月19日 - Datu Mangayanonの信者60人がフィリピンのミンダナオで集団自殺。
- 1986年9月1日 - 岡山で真理の友教会の信者7人が集団自殺。
- 1987年8月28日 - パク神父の信者32人が韓国ソウルで集団自殺。
- 1993年 - アメリカテキサス州ウェイコ、警官隊が包囲する中でブランチ・ダヴィディアンの信徒72名が焼死。公式には放火による集団自殺となっているが、火災が警官隊の突入時に発生しており、FBIも手榴弾が使用されたことを認めている。
- 1994年10月4日 - スイスの太陽寺院の信徒53人(うち子供16人)が死体で発見される。自殺・他殺は不明。
- 1995年 - 「Chevaliers du Lotus d'or」の指導者Gilbert Bourdinが、元信徒から強姦容疑で事情聴取を受ける。
- 1995年3月20日 - オウム真理教による地下鉄サリン事件。12人が死亡、5000人以上が怪我。
- 1995年12月23日 - フランスヴェルコールの太陽寺院の信者16人(うち子供3人)が焼死体で発見される。自殺・他殺は不明。国会議員のJean-Pierre Brardは「自殺でないのは明白。これは殺人だ」と発言。
- 1997年3月24日 - カナダケベックで太陽寺院の信者5人が死体で発見される。
- 2002年12月26日 - ラエリアン・ムーブメントの影響下にある、ケベックのクローンエイド社が、人間のクローン誕生(女児でエヴと命名された)に成功したと発表。その後この件に関する裏付けはなされていない。
[編集] メディア及び諸団体による批判
特定のセクト団体によって繰り返しおこされた事件、とりわけ集団自殺や性的暴行に関する報道が過熱すると、セクト擁護者たちは、世論に影響を与えるための扇動だと指摘した。 「セクト現象」の過熱報道は、趣旨の異なる団体までをも混同して同一視する事態を導いた。そして、犯罪グループ・危険組織・小児愛グループ・全体主義団体にはじまり、宗教団体・秘教団体や単なる風変わりな団体などの犯罪を起こしたことがない団体までをも「セクト」と呼ぶようになったのである。
この現象は、セクト反対者によれば、近代的定義の内容によるものだと理解される。メディア報道が特定団体内部における悪事に光を当てた一方で、特定の人々や団体にとって非常に有害な事態を引き起こした。人権宣言で保障されているはずの信教の自由と思想の自由が、しばしば侵害されたのである。
セクト擁護者によれば、セクト扱いされた団体に所属するという理由で解雇されたり、子供の保育を断られたり、商業契約を破棄されたりしたというケースが発生している。歌手のNayah(本名Sylvie Mestre)がメディアから受けた圧力や、彼女を包んだ疑惑ムードは、その好例である。1999年にユーロビジョン・ソング・コンテストにフランス代表に選ばれるなどの活躍をしていた彼女であったが、ラエリアンとの関係が取り沙汰されて、キャリアに終止符を打っている。プロデューサーに対する反セクト団体からの圧力が強く、テレビ出演やコンサートが中止に追い込まれ、最後には契約が破棄されたのであった。
[編集] セクト政策
各国では、セクトについてのそれぞれの定義に従い、特定の行為や特定の団体についての対策を講じている。
[編集] ヨーロッパ
フランス・ベルギー・ドイツでは、委員会を設けて、セクト団体リストの作成などを行った。フランス政府は、セクト現象についての調査委員会を国会に設置した。 2000年2月7日、MILS(Mission interministérielle de lutte contre les sectes = 府省間セクト対策本部)が最初の報告書をまとめ、「人権及び基本的自由を侵害するセクト団体に対しての予防と規制を強化しなくてはならない」と結論づけている。セクト団体リストを含んだこの報告書に続いてLoi About-Picard(セクト運動に関するアブ・ピカール法)が2001年に可決された。この他「精神操作罪」も新設された。
フランスはセクト対策専門の有効なネットワークを有しており、各省庁(警察・法務・文部科学など)に情報を提供している。また、MILSの担当者が各省庁に派遣されており、情報収集・情報提供・研修を行っているほか、行政組織内にセクトが侵入しないように努めている。この仕事は「勧誘の試みを発見する」ことと逸脱行為を罰することに集約される。その一方で、フランス政府は、宗教団体に対して「セクト」のレッテルを貼る方法に変更を行ったように思われる。先ず、MILSが解散され、MIVILUDES(Mission interministérielle de vigilance et de lutte contre les dérives sectaires =府省間セクト的運動警戒対策本部)に置き換えられた。「政府の行動は、信徒(会員)に対して肉体的・精神的な束縛を行っている特定のグループの活動との戦いと、自由の尊重及び政教分離の原則とを、うまく両立させようという配慮に基づいている。国家権力が特定の団体をセクト指定し、そのことだけを根拠として行動するという方法は、前出の両立を保障することも出来ないし、実行する政策が法的に根拠のあるものだということを保障することも出来ないということが、実際の経験として示されているのである」。2005年5月27日の政府通達では、報告書の結論に疑問を投げかけており、セクト団体リストを作成したことが適切ではなく、自由の尊重及び政教分離の原則に反したものだったとしている。 危険性を持つと考えられる団体の監視は維持もしくは強化されている。しかし、根本的に独立している団体を悪意的に同一視することは控えるようになっている。 一方で、国務院は2005年6月、サイエントロジーが起こした裁判の際(同団体は敗訴した)、「セクト団体リスト」に「情報提供的価値」があるとした上で、「セクトと呼ばれている特定の団体の行為が引き起こしかねない危険を考慮し、そうした団体が宗教活動を行っているのだと主張しているとしても、通達が信仰の自由の原則を無視しているものではない」と認めている。
ベルギーでは、こうした試みは国会での大論争に発展し、同様のリストは作成されなかったが、詳細な報告書が発表された。
スイスでは、連邦評議会が「互いに関係のない」グループに対する悪意的な同一視に注意を払っており、「思想と信仰の自由及び結社の権利は、連邦憲法に記されたものである」としている。スイス国内の少なくとも4か所の裁判所が、サイエントロジーは宗教ではなくて事業だと認定している。
[編集] 法的措置
2001年9月6日、「Chevaliers du Lotus d'or」の指導者Gilbert Bourdinの巨大像が、建築許可に関する裁判の判決によって取り壊された。 ラエリアンムーブメントは、「差別」を理由として自己解散したが、その解散前には国民戦線党のルペン党首を支持し、「フランスが彼の自由政策に基づく制度を持つために」彼に投票するよう国民に呼びかけ、「彼が政権をとればエリート主義的革命が可能になるだろう」と主張した。 司法はまた、元信徒の名前を電子ファイルデータに不当使用したとして、サイエントロジーを告訴している(サイエントロジーは敗訴)。同団体は「組織的詐欺」の疑いでも取り調べを受けた。同団体はこの他にも、世界各国で、不審死亡事件に関連した裁判で敗訴している。 セクト的宗教団体の告訴及び判決における主な罪状は、労働法違反、詐欺、危険な状態にある人の救済過失、不法医療行為、児童虐待が列挙できる。フランスの法律は「精神操作」の罪を認知していない(人権諮問委員会によって2000年に提案されたが、採択されなかった)し、成人の同意に基づくところの社会生活の損失に係る問題には関与しない。 政府のセクト対策は、情報提供と、特定団体の手法を記載した報告書を発表することにもある。
[編集] 再考
セクト的で危険であるとみなされる団体に対して、「市民を保護するために国が干渉するべきである」という考える人たちと、「市民の信仰と結社の自由を制約する権利を国は持たない」と考える人たちとが、長期にわたって議論を重ねている。カナダの社会学者ダニエル・ヒルは、次のように述べている。
自由を尊重する社会は、自ら進んで自立性を放棄したり、無駄な目的のために財産を費やしたり、自らに有害なことを実践したりしている人たちを保護出来るとは限らないということを受け入れなければならない。それが信仰や結社の問題なのであるが、真に自由な個人は、自身の選択から喜びを受けることも自由であると同時に、それによって苦しみを受けることも自由なのである。(J.F. Mayerが「Sectes nouvelles, un regard neuf」で引用。1985年)
フランスは、セクトに関する委員会の報告書の中で、セクト団体リストを作成したが、激しい批判がなかったわけではない。専門家は慎重に受け入れたのであった。ヴェルネット司教は、教会が認めている組織(例:オプス・デイ)がセクト指定されていることに懸念を示した。ベルギーにおいては、1996年に国会委員会が同様の試みを行ったが、添付されていたセクト団体リストも含め、報告書は国会でほぼ全面否決された。この件に関し、ヴェルネット司教は次のような声明を発表した。 「(ベルギーの委員会報告書は)幾つかの団体を間違ってセクト扱いするなど、不当な認定と思われる要素を含んでいると同時に、リストの内容がメディアで報じられたことから、当該団体やその信者(会員)に対して甚大な影響をもたらした。しかしながら、その声は取り上げられることもない。復権や新たな裁判が実施されることもない。この件を扱う権限を有するとされる機関が無いからである。これは法治国家においては深刻な事態であり、また別の角度から同様の事態が起きる危険が懸念される」 ヴェルネット司教はまた、新興宗教とセクトに関する事典を著しているが、それには400の団体が記載されている(国会報告書には172団体が記載)。 カトリック教会の何人かの指導者たちの懸念及びその反応の慎重さは、カトリック内部においてカリスマ的存在を有しセクト的逸脱の様相を呈している団体がセクト指定されるのではないか、という心配によるところが大きい。
[編集] 主要な宗教のケース
「主要な宗教」がセクト指定されるべき基準を満たしている、と考える人たちもいる。彼らはそう考える根拠として、カトリック神父の小児愛事件や、イスラム教やユダヤ教における盲目的信仰(狂信)を挙げる。 「主要な宗教」の内部にセクトが存在している、と主張する人たちもいる。しかし「主要な宗教」がセクトだということではない。 他方で、「主要な宗教」はセクトと同一視されるものではない、と考える人たちもいる。それらが社会に認められ、社会に溶け込んでいるというのがその理由である。言うなれば、その団体が存在する国の政府が、セクトか否かの決定の保証人となり、宗教団体によって管理されている場合を除き、セクトである可能性があるグループについての調査を禁じているのである。 宗教団体を非難する人たちは、「主要な宗教」(とりわけカトリック教会が槍玉に挙げられている)が、セクトに対する不信感を利用し、正統派とされないグループをアウトサイダー化させたり異端呼ばわりしようとしている、と考えている。 セクト擁護者たちは、カトリック教会が反セクト運動の活動を利用しカトリックの思想や知識を「ADFI(家族と個人を守る会)」に教育している、とも考えている。
Joël Labruyère(OMNIUM代表、サイエントロジーに近いとされている)は、「L'Etat inquisiteur」の中でこう記している。
「あらゆる形態における異端に対する知識のお陰なのである。そして、国際的な情報網の恩恵に浴しているから、カトリック神父たちは反セクト運動を引き起こすことが出来たのであり、一般市民を煽ることが出来たのである。このように、新興の異端者たちに戦争を挑む小さなマシーンを手渡したのである。現代文化に同化しやすい形態に変えた迫害のメカニズムを再生利用させればよかっただけなのである。その後、CCMM(精神操作防止資料教育活動センター、マインドコントロール救済センター)がその概念を非宗教化させ、政治やメディアの世界にごく自然に溶け込むことが出来たのである。ここまでくれば、あとは聖なる宗教裁判の想像をこえる残忍さをもって、アウトサイダー化することを目的として異端呼ばわりをするという、俗に「魔女狩り」と言う穏やかな技を決めるだけである。悪魔は、予めロボトミー手術を受けた「信奉者」を洗脳するとされている「グル」に取って代わられたのである。」
著書「Dictionnaire de philosophie」の中で、André Comte-Sponvilleはこう記している。
「セクトとは、別の人の教会である」
新聞「Charlie-Hebdo」2000年6月28日号の記事の中で、François Cavannaはこう記している。
「宗教とは、成功を収めた セクトである」
[編集] ヨーロッパ人権裁判所の与えた影響
ヨーロッパ人権裁判所のホフマン裁判でフランスが96年に敗訴して以降、フランスの司法はセクト問題においてヨーロッパ人権条約に準拠した判決を下すようになった。ヨーロッパ人権条約9条は宗教の自由とそれを制限する場合に相当の理由が必要な場合を定めている。具体的に言えば犯罪などがあればセクトを制限できるわけである。これに準拠するようになった。この結果フランスの反セクト法も人権条約に違反しないよう何度も検討され条約に批准した法律として制定された。人権条約9条自体は国家が多様な宗教制度をとるなかで生まれた妥協的な産物であり、国教を定めた国を違法とみなさないなどの片手落ちな側面も見られるが、個人や団体の活動を国家が正当な自由なく制限する場合には違法とみなした判決を下す。また同裁判所は国教を定めないフランスの政教分離をヨーロッパに置いて最も見習うべきものとの見解を示している。またヨーロッパ人権裁判所の判決は国家の裁判所よりも上位に存在する。
[編集] 代表的なセクト
- Groupes et pratiques parfois considérés comme sectaires faisant l'objet d'un article sur Wikipedia
- カルトと指摘された団体・人物の一覧
を参照のこと。
[編集] 参考文献
- B.ウィルソン 『宗教セクト』 池田昭訳 恒星社厚生閣 1991年 ISBN 4769907206
- 小泉洋一 『政教分離の法フランスにおけるライシテと法律・憲法・条約』 2005年 ISBN 4-589-02857-3