ザフライングダッチマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1851年5月13日ヨーク ヴォルティジュールとのグレートマッチ |
|
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1846年2月27日 |
死没 | 1870年 |
父 | ベイミドルトン |
母 | バーベル |
生産 | ヘンリー・ヴァンシタート |
生国 | イギリス |
馬主 | アール・オブ・エグリントン |
調教師 | ジョン・フォバート |
競走成績 | 16戦15勝 |
獲得賞金 | - |
ザフライングダッチマン(The Flying Dutchman、1846年 - 1870年)はイギリスの競走馬。19世紀中頃の強豪で16戦15勝、エプソムダービー、セントレジャーステークス、アスコットゴールドカップ勝ち等の成績を残した。
2歳時はシャンペンステークス等5戦5勝、3歳になっても勢いは止まらず8ヶ月ぶりに出走したエプソムダービーでもホットスパーを下し勝利、さらにセントレジャーステークスも勝利しイギリスクラシック二冠を達成した。4歳になっても大ロシア皇帝陛下プレート(アスコットゴールドカップ)を8馬身で圧勝するなどしたが、ドンカスターカップで生涯唯一の敗戦を喫している。相手は無敗の二冠馬ヴォルティジュール(セントサイモンの父方祖先)で、ザフライングダッチマンの騎手C.マーロウは泥酔しての出走だった。このため馬主エグリントンはすぐに再戦を申し込み翌年2頭のマッチレースが実現した。
マッチレースはヨーク競馬場の2マイルで行われ、掛け率は互角。ザフライングダッチマンには名誉回復のためにC.マーロウが跨っていた。レースは当初ヴォルティジュールが先行し、その3馬身後をザフライングダッチマンが追った、そして直線入り口からゴールまでは2頭ならんでの激闘が展開され、競馬史に残るマッチレースとして現代に語り継がれている。結果は徐々に差をつけたザフライングダッチマンが先にゴールに達し、1馬身差でヴォルティジュールに雪辱した。ザフライングダッチマンはこのレースを最後に現役を退いている。
引退後は種牡馬となったが程なくフランスに輸出された。現役時代からの期待に比べれば成功したとはいえないが、フランスでの産駒ドラールがアンドロクレスを出し直系を繋いでいる。子孫はトウルビヨンや日本ではシンボリルドルフ、メジロマックイーン、トウカイテイオー等が代表格である。
[編集] 年度別競走成績
1848年(5戦5勝)
- シャンペンステークス
1849年(7戦7勝)
- エプソムダービー
- セントレジャーステークス
1850年(3戦2勝)
- 大ロシア皇帝陛下プレート(アスコットゴールドカップ)
- 2着 - ドンカスターカップ
1851年(1戦1勝)
- ヴォルティジュールとのマッチレース
[編集] 主な産駒
- Ellington ダービー
- Brown Duchess オークス
- Dollar グッドウッドカップ
[編集] 血統表
ザフライングダッチマンの血統 (ヘロド系/Selim3×4=18.75%) | |||
父
Bay Middleton 1833 鹿毛 |
Sultan 1816 鹿毛 |
Selim | Buzzard |
Alexander Mare | |||
Bacchante | Williamsons Ditto | ||
Mercury Mare | |||
Cobweb 1821 鹿毛 |
Phantom | Walton | |
Julia | |||
Filagree | Soothsayer | ||
Web | |||
母
Barbelle 1836 鹿毛 |
Sandbeck 1818 鹿毛 |
Catton | Golumpus |
Lucy Gray | |||
Orvillina | Beningbrough | ||
Evelina | |||
Darioletta 1822 黒鹿毛 |
Amadis | Don Quixote | |
Fanny | |||
Selima | Selim | ||
Pot8o's Mare F-No.3-i |
- 主な兄弟 Van Tromp(セントレジャー、アスコットゴールドカップ、グッドウッドカップ)
カテゴリ: 1846年生 | 1870年没 | サラブレッド | イギリス生産の競走馬 | イギリス調教の競走馬