サッカー大韓民国代表
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国または地域 | 韓国 |
協会 | 大韓サッカー協会 |
愛称 | アジアの虎、太極戦士 |
監督 | ピム・ファーベーク |
最多出場選手 | 洪明甫(135試合) |
最多得点選手 | 車範根(55得点) |
初の国際試合 | 1948年8月2日対メキシコ 5-3 |
最大差勝利試合 | 2003年9月29日対ネパール 16-0 |
最大差敗戦試合 | 1948年8月5日対スウェーデン 0-12 |
W杯出場回数 | 7回 |
W杯初出場 | 1954 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | ベスト4(2002) |
アジアカップ出場数 | 10回 |
サッカー大韓民国代表(―だいかんみんこく・だいひょう)は、大韓サッカー協会(KFA) によって編成されるサッカーのナショナルチームである。韓国での愛称は太極戦士。
アジアサッカー連盟および東アジアサッカー連盟所属。
なお、本項目では男子の代表について記述する。女子の代表については「サッカー大韓民国女子代表」を参照のこと。
目次 |
[編集] 概説
チームカラーは赤。愛称は協会のシンボルである虎にちなんだ「アジアの虎」(アシアエ・ホランイ아시아의 호랑이)、あるいは韓国国旗の別名「太極旗(テグッキ 태극기)」に由来する「太極戦士(テグク・チョンサ 태극전사)」である。なお代表サポーターに対して海外から「Red Devils」という愛称が与えられ、のち正式にこの集団は「붉은악마(プルグン・アンマ:赤い悪魔)」と命名された。
FIFAワールドカップには1954年の1954 FIFAワールドカップに初出場し、その後も本大会への参加をしているがなかなか勝利をあげることができずにいた。
日本との共同開催であった2002 FIFAワールドカップではオランダ人監督のフース・ヒディンクの指揮の下初戦のポーランド戦で念願の初勝利を遂げると、その後は幾つもの微妙な判定が優位に働いたことなどもあってイタリアやスペインと言った強豪を次々と撃破し、準決勝まで進出。ドイツとの対戦に敗れ、3位決定戦でもトルコに敗退はしたものの、これまでの最高成績となる4位となった。このときの韓国国内における盛り上がりは「대~한・민・국(テハン・ミン・グク)」と叫ぶ国民の歓声とともに国内外でともに有名となった。
その一方でアジアカップでは2回の優勝(1956年、1960年)を果たしているが、近年では2000年の3位が最高となっている。
[編集] 記録
- 初国際試合 韓国 5 - 3 メキシコ(1948年8月 2日:イギリス・ロンドン)
- 最大勝利 韓国 16 - 0 ネパール(2003年9月29日:韓国・仁川)
- 最大敗退 スウェーデン 12 - 0 韓国(1948年8月 5日:イギリス・ロンドン)
- 最多試合出場 洪明甫(ホン・ミョンボ:135試合)
- 最多得点 車範根(チャ・ボムグン:55得点)
[編集] FIFAワールドカップ
- 出場 7回(2006年を含む)
- 初参加 1954年スイス大会
- 最高成績 4位 2002年韓国・日本大会
- 歴代記録(大韓サッカー協会設立(1945年)以降について記載)
- 1986年 グループリーグ敗退
- 1990年 グループリーグ敗退
- 1994年 グループリーグ敗退
- 1998年 グループリーグ敗退
- 2002年 4位
- 2006年 グループリーグ敗退
[編集] AFCアジアカップ
[編集] 東アジアサッカー選手権
[編集] 歴代監督の一覧
- 車範根(1997年 - 1998年)
- フース・ヒディンク(2001年 - 2002年)
- ウンベルト・コエリョ(2003年 - 2004年)
- ヨハネス・ボンフレール(2004年 - 2005年)
- ディック・アドフォカート(2005年 - 2006年)
- ピム・ファーベーク(2006年 - )
[編集] 選手
[編集] 現在の選手(2006 FIFAワールドカップ代表)
Pos. | 背番号 | 選手名 (日本語) | 選手名 (英語) | 生年月日 | 身長(cm) | 体重(kg) | 所属チーム |
GK | 1 | 李雲在 | Lee Woon-Jae | 1973年4月26日 | 182 | 82 | 水原三星 |
GK | 20 | 金龍大 | Kim Yong-Dae | 1979年10月11日 | 187 | 79 | 城南一和 |
GK | 21 | 金永光 | Kim Young-Kwang | 1983年6月28日 | 184 | 80 | 全南ドラゴンズ |
DF | 2 | 金泳徹 | Kim Young-Chul | 1976年6月30日 | 183 | 81 | 城南一和 |
DF | 3 | 金東進 | Kim Dong-Jin | 1982年1月29日 | 183 | 72 | ゼニット・サンクトペテルブルク |
DF | 4 | 崔眞喆 | Choi Jin-Cheul | 1971年3月26日 | 187 | 80 | 全北現代 |
DF | 6 | 金珍圭 | Kim Jin-Kyu | 1985年2月16日 | 184 | 74 | ジュビロ磐田 |
DF | 12 | 李栄杓 | Lee Young-Pyo | 1977年4月23日 | 176 | 66 | トッテナム |
DF | 18 | 金相植 | Kim Sang-Sik | 1976年12月17日 | 184 | 70 | 城南一和 |
DF | 22 | 宋鐘國 | Song Chong-Gug | 1979年2月20日 | 175 | 71 | 水原三星 |
DF | 23 | 趙源煕 | Cho Won-Hee | 1983年4月17日 | 177 | 68 | 水原三星 |
MF | 5 | 金南一 | Kim Nam-Il | 1977年3月14日 | 180 | 75 | 水原三星 |
MF | 7 | 朴智星 | Park Ji-Sung | 1981年2月25日 | 175 | 70 | マンチェスター・U |
MF | 8 | 金斗炫 | Kim Do-Heon | 1982年7月14日 | 175 | 67 | 城南一和 |
MF | 13 | 李乙容 | Lee Eul-Yong | 1975年9月8日 | 176 | 69 | トラブゾンスポル |
MF | 15 | 白智勲 | Baek Ji-Hoon | 1985年2月28日 | 175 | 65 | FCソウル |
MF | 17 | 李浩 | Lee Ho | 1984年10月22日 | 182 | 75 | ゼニット・サンクトペテルブルク |
FW | 9 | 安貞桓 | Ahn Jung-Hwan | 1976年1月27日 | 177 | 71 | 無所属 |
FW | 10 | 朴主永 | Park Chu-Young | 1985年7月10日 | 182 | 70 | FCソウル |
FW | 11 | 薛琦鉉 | Seol Ki-Hyeon | 1979年1月8日 | 184 | 73 | レディングFC |
FW | 14 | 李天秀 | Lee Chun-Soo | 1981年7月9日 | 172 | 62 | 蔚山現代ホランイ |
FW | 16 | 鄭炅浩 | Chung Kyung-Ho | 1980年5月22日 | 177 | 70 | 光州尚武 |
FW | 19 | 曺宰溱 | Cho Jae-Jin | 1981年7月9日 | 185 | 81 | 清水エスパルス |
[編集] 歴代選手
[編集] 関連項目
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