安貞桓
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アン・ジョンファン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 안정환 |
漢字: | 安貞桓 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
アン・ジョンファン |
ラテン文字転写: | Ahn Jeonghwan |
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安貞桓 (アン・ジョンファン、Ahn Jung-Hwan、안정환、1976年1月27日 - ) は、韓国出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。現在は無所属。
既婚で、妻は1999年ミスコリアの李恵園 (イ・ヘウォン、이혜원)。 ゴールを決めた際には、ラウールのように結婚指輪にキスをするパフォーマンスをする。このことから、韓国では「指輪の帝王」というニック・ネームで呼ばれることもある。また、2004年5月には、長女が誕生している。
目次 |
[編集] キャリア
Kリーグ・釜山大宇ロイヤルズ(現・釜山アイパーク)を経て、2000年、イタリア・セリエAのペルージャに期限付き移籍した。
[編集] イタリア時代
2000-01シーズンにはペルージャに移籍し、リーグ戦の初戦こそ先発フル出場を果たしたものの、その後は主戦力とは見なされず第3節から11試合連続で欠場するなど、初年度はリーグ戦34節中20試合を欠場。先発フル出場はわずかに9試合。それでもチームにケガ人が多発した終盤では少なからず起用の機会があり、4ゴールを奪った。2年目も基本的に控えの扱いは変わらず、34節中20試合で欠場、先発フル出場は4試合のみ。平均出場時間も約24分から約14分と落ち込み、わずかに1ゴールを記録するのみだった。
[編集] 2002年ワールドカップでの騒動
2002年のFIFAワールドカップ日韓大会では、代表チームのスーパーサブ的な存在として、韓国を大会ベスト4に導く原動力となった。特にイタリアとの試合で挙げたゴールデンゴールにより国民的スターとなった。
当時の所属チームであるイタリア・セリエAのペルージャのルチアーノ・ガウチ会長(当時)がこのゴールに激怒し、安との契約を解除しようとしたというエピソードはあまりにも有名である。しかし、主として韓国・日本において報道されたこの話は事実とは異なる。「安はイタリアの地に二度と足を踏み入れる事はない」とのガウチ会長の発言は、安のイタリア代表チームに対しての度重なる侮蔑的な発言(主に韓国メディアが報道)が引き金となっており、単なる言い合いの域を出ない。事実、ガウチは「イタリア代表戦でたとえ10ゴールを決められようともそれはかまわない。契約解除は彼の発したコメントのためだ」とBBCの取材に対して答えている。[1]。
また、ペルージャ側には安を解雇する意志はなく、期限付き移籍であった安の所属先であった釜山に移籍金を支払い、その保有権を正式に確保している。しかし、安側は、ペルージャで控えに甘んじていたこと、感情的な行き違いを嫌ったこと、およびスペインリーグへの憧れがあったために他の欧州リーグへの移籍を模索する。2002年ワールドカップでの成功があったため、容易に移籍できるであろうという目論見があったともされる。[2]
[編集] Jリーグへの移籍
しかし、安に対して興味を示す欧州クラブは現れず、保有権をペルージャから在日韓国人が経営する日本のスポーツマネージメント会社が買い取った上で2002年9月、Jリーグ・清水エスパルスに半年という契約でレンタル移籍。本人は半年で欧州リーグへの移籍を再度模索するつもりであったという。しかし、相変わらず欧州リーグは安に興味を示そうとはせず1年半もの間、清水に在籍を続けた。
2004年1月には、横浜F・マリノスに完全移籍、優勝への天王山となった最終戦鹿島戦を含む終盤4試合で4試合連続ゴールを決めるという活躍を見せ2004年度Jリーグ第1ステージ制覇の原動力となった。この年の横浜F・マリノスはJリーグディビジョン1連覇を果たす。この時、後の日本代表DFの田中隼磨が、2004年Jリーグチャンピオンシップで優勝した際に、故障中だった安へのメッセージTシャツを着て、安への愛情を表現した。2005年6月に契約満了により横浜Fを退団。Jリーグへの在籍は3シーズン弱に及んだ。
[編集] 欧州への再挑戦と失敗
2005-06シーズンからフランス1部リーグFCメッツへと移籍する。しかし、得点しても仏レキップ紙の採点では事実上の最低点となる2点とされるなど、チームにフィットすることができなかった。2006年1月にはドイツ・ブンデスリーガ・MSVデュースブルクに移籍。途中加入ながら2得点をマークした。安がこのシーズンに所属した2つのチームはどちらもリーグ最下位となり、下位リーグに降格となった。
[編集] 事実上の引退状態へ
2006年8月にはデュースブルクからの解雇が発表され、欧州のクラブからのオファーを待ったが、結局来ず、現在は無所属となっている。なお、代表チームでは事実上引退状態となっており韓国代表のピム監督からも「安貞桓の代表入りはない」と告げられている。
[編集] 逸話
- 竹島問題について朝鮮日報記者に「独島問題をどう思うか?」と聞かれた際、「そこに住んでいる人たちはどうなるの?」と他人を思いやる心遣いが韓国人のみならず、日本人の一部にもさわやかな感動をあたえた。
- 試合前には絶対頭を洗わないという験担ぎをしている。
- オフィシャルサイトのQ&Aで「中田をいつ超えるのか?」という質問には「ノーコメント」と返答した。
- ペルージャに移籍した当初は食事が口に合わず、チョコレートとアイスクリームで食をつないでいた。
- 代表では日本戦に強く2000年12月、2003年6月の日韓戦で得点を記録している。
[編集] 著名な専門家からの評価
- アジアで精力的に活動してる英国のサッカージャーナリスト、ジェレミー・ウォーカーによると「安貞桓が外国で成功した国は日本だけで、その他挑戦した国々(イタリア、フランス、ドイツ)では悲惨な結果」という非常に厳しい評価を下している。[3]
[編集] 経歴
- 大林小学校(韓国)1986-1988
- 南ソウル中学校(韓国)1988-1991
- ソウル機械工業高校(韓国)1991-1994
- 亞州大学校(韓国)1994-1997
- 釜山大宇ロイヤルズ(韓国)1998-2000
- ACペルージャ(イタリア)2000-2002
- 清水エスパルス(日本)2002.9-2003
- 横浜F・マリノス(日本)2004-2005.6
- FCメッツ(フランス)2005.7-2006.1
- MSVデュースブルク(ドイツ)2006.2-2006.8
[編集] 個人タイトル
- 1998年 - Kリーグベストイレブン
- 1999年 - KリーグMVP
[編集] 外部リンク
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