清水エスパルス
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清水エスパルス(しみず えすぱるす、Shimizu S-Pulse)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
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[編集] クラブの概要
1991年Jリーグ加盟。ホームタウンは静岡県静岡市(合併前は清水市)。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場(日本平スタジアム、静岡市清水区村松。Jリーグ発足当初は静岡県草薙総合運動場陸上競技場(静岡市駿河区聖一色)を準ホームスタジアムとしており、球団事務所も静岡市駿河区栗原にあった。)。また、日本平スタジアムは収容人数約2万人とやや小さいため、磐田(静岡ダービー)や浦和など人気が高く、多くの集客が見込まれる対戦では袋井市にあるエコパスタジアムを使用することが多い。練習は三保グラウンド、静岡市清水総合運動場等を使用している。チーム名の「エス(S)」は、静岡・清水・サッカーの頭文字、「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動を意味する。
[編集] Jリーグ年度別成績
年度 | リーグ | J1/J2 | 順位 | 成績 |
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1993年 | サントリー | J1 | 4位 | 10勝8敗 |
1993年 | ニコス | J1 | 2位 | 14勝4敗 |
1994年 | サントリー | J1 | 2位 | 16勝6敗 |
1994年 | ニコス | J1 | 6位 | 11勝11敗 |
1995年 | サントリー | J1 | 12位 | 10勝16敗 |
1995年 | ニコス | J1 | 4位 | 15勝11敗 |
1996年 | 年間 | J1 | 10位 | 12勝18敗 |
1997年 | 1st | J1 | 7位 | 9勝7敗 |
1997年 | 2nd | J1 | 6位 | 10勝6敗 |
1998年 | 1st | J1 | 2位 | 13勝4敗 |
1998年 | 2nd | J1 | 5位 | 12勝5敗 |
1999年 | 1st | J1 | 3位 | 10勝4敗1分 |
1999年 | 2nd | J1 | 1位 | 12勝3敗0分 |
2000年 | 1st | J1 | 3位 | 10勝5敗0分 |
2000年 | 2nd | J1 | 13位 | 5勝8敗2分 |
2001年 | 1st | J1 | 4位 | 10勝5敗0分 |
2001年 | 2nd | J1 | 4位 | 9勝6敗0分 |
2002年 | 1st | J1 | 7位 | 8勝4敗3分 |
2002年 | 2nd | J1 | 12位 | 6勝9敗0分 |
2003年 | 1st | J1 | 11位 | 5勝7敗3分 |
2003年 | 2nd | J1 | 10位 | 6勝6敗3分 |
2004年 | 1st | J1 | 11位 | 3勝5敗7分 |
2004年 | 2nd | J1 | 14位 | 4勝10敗1分 |
2005年 | 年間 | J1 | 15位 | 9勝13敗12分 |
2006年 | 年間 | J1 | 4位 | 18勝10敗6分 |
合計 | - | J1 | - | 247勝191敗38分 |
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内
[編集] 国際
- アジアカップウィナーズカップ:1回 - 2000年※2
※2天皇杯1998年度大会で優勝した横浜Fが横浜Mと合併したための代替枠出場)
[編集] クラブの歴史
Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつ。母体チームを持たず、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。当初は市民やテレビ静岡、フジテレビジョン(※)、中日新聞社などの出資する会社「(株)エスラップ・コミュニケーションズ」により運営されていたが、1998年にテレビ静岡の撤退により経営破綻。流通業の鈴与をはじめとした地元企業の出資により現在の運営会社「(株)エスパルス」が設立され、チームを継承した。
1991年5月設立の運営会社は資本金の1割が市民持ち株というほどサッカーどころである。 そんなサッカー王国・静岡の最大の財産は、才能豊かな選手達。 当初は地元出身の優れた選手達を補強し,特にDF堀池巧(前読売クラブ)、大榎克己(前ヤマハ)、FW長谷川健太(前日産自動車)の「清水東三羽烏」の地元への移籍は当時の清水サポーターを賑わせた。 また初代主将となる三浦泰年や新人選手としてMF澤登正朗(東海大学卒)などを補強し、その結果第1回Jリーグヤマザキナビスコカップ準優勝(1993年)を果たす. その後もナビスコカップ優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)など、数々のタイトルを獲得した。
チームは伝統的に延長戦に入ってからの勝ちが多い。そのため、トーナメントでは好成績を収めながらも、リーグでは延長勝ちの勝ち点が2点に減点されたことや、またさらに延長戦が廃止されてしまうと成績が下降。 2003年シーズンは11位、2004年シーズンは14位、2005年シーズンは終盤まで降格争いをし、最終的には15位で残留を決めるなど低迷期が続いた。 しかし、2005年度にデビューした枝村匠馬、兵働昭弘、青山直晃ら若手選手が主力として定着し、同年の天皇杯で準優勝の成績を収める。 トリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)の達成を目指して迎えた2006年シーズンもルーキー藤本淳吾が主力として定着し、青山直晃が日本代表に選出されるなど前年以上に若手選手が台頭。またかつての代表である森岡隆三、市川大祐、伊東輝悦らも復調を果たし開幕から上位につけ最終的に4位でシーズンを終え、目標であったトリプル5も達成(4位・勝ち点60・得点60)。長年の低迷期からの脱却に成功、強豪復活の気配を見せている。また、12年ぶりに年間順位でジュビロ磐田を上回った。シーズン終了後には藤本淳吾が新人王を獲得する一方で森岡隆三が出場機会を求めて移籍するなど世代交代を象徴するシーズンであった。
なお、通算の対戦成績で鹿島アントラーズに勝ち越している数少ないチームである。(18勝12敗2分)ただ最近は負けが多い。
(※)フジテレビが資本参加していたことからJリーグ創設当初の数年間国立霞ヶ丘陸上競技場でも主催試合を一部行っていた。(2006年の鹿島アントラーズとの対戦でも使われた)
[編集] ヤマハサッカー部との統合案
チームがJリーグを目指したプロジェクトを立ち上げた時、磐田市にあったヤマハ発動機サッカー部(ジュビロ磐田の母体)とのチーム統合計画が水面下で計画されていた。ヤマハ自体も当初は単独でのJリーグ参入を目指したが、当時の清水市の市民が中心に立ち上げた清水FCも初年度からのJリーグ参加のプロジェクトを立てていた。
しかし全国大会の実績が全くない清水に対し、日本協会・プロ化検討会は経営基盤の強化や、同じ静岡県に複数のチームを加盟させるのは当時としては時期尚早だとして、ヤマハとのチーム統合を提案。県民チームとしてJリーグを目指すことを勧告した。しかしヤマハ側はそれを拒否しあくまでも清水、ヤマハとも単独チームでの加盟を念頭においていたが、スタジアムやチーム運営・選手補強などの資金力などソフト・ハード面で勝った清水FCが初年度の参加権利を獲得した。
[編集] チームカラー
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- チームカラーはオレンジ色
[編集] ユニホームスポンサー
[編集] 過去のスポンサー
- ホーネンコーポレーション(袖 1992年~2002年)
- 鈴与(袖 2003~2004年)
- スター精密(袖 2005年)
- 日本航空(胸 1992年~2005年)
※日本航空の胸ロゴは日本でのユニホーム広告の先駆けであった。かつてはどこのチームも胸にはチーム名が入っていたが、当時日本航空社員の伊沢氏が欧州サッカーチームの胸スポンサーを見て、市民球団で特定の企業イメージが無かった清水に、ユニホーム胸部分にJALのロゴを入れるよう働きかけたのがはじまりであった。スポンサーロゴによる広告収入が魅力的であることから、その後他チームも導入するようになった。
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] 関連項目
- ちびまる子ちゃん(小学3年生の少年の頃の長谷川監督が描かれている)
- 清水エスパルスの選手一覧
- エスパルスドリームフェリー
- エスパルスドリームプラザ
- ISSO!S-PULSE(エスパルスを応援するラジオ番組)
- 三浦泰年(初代主将)
- 清水東三羽烏
[編集] 外部リンク
- S-PULSE OFFICIAL WEB SITE
- エスパルスドリームレーシングチーム(エスパルスがオフィシャルパートナーを務めるバイクレースチーム)
清水エスパルス - 2006 |
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0 パルちゃん | 1 掛川誠 | 2 斉藤俊秀 | 3 山西尊裕 | 4 高木和道 | 5 岩下敬輔 | 6 杉山浩太 | 7 伊東輝悦 | 8 平松康平 | 9 矢島卓郎 | 10 藤本淳吾 | 11 森岡隆三 | 12 サポーター | 13 兵働昭弘 | 14 高木純平 | 15 久保山由清 | 16 枝村匠馬 | 17 マルキーニョス | 18 チョ・ジェジン | 19 和田拓三 | 21 西部洋平 | 22 太田圭輔 | 23 岡崎慎司 | 24 平岡康裕 | 25 市川大祐 | 26 青山直晃 | 27 財津俊一郎 | 28 山本真希 | 29 山本海人 | 30 武田洋平 | 31 辻尾真二 | 32 本田拓也 | 33 アレシャンドレ | 監督 長谷川健太 | クラブ | 編集 |
Jリーグ 2007 | |
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J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
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J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガFC | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
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過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |