クラーク (富農)
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クラーク(ロシア語:кулакクラーク;ウクライナ語:куркульクルクーリ)は、20世紀前半のロシア帝国やソビエト連邦国内で形成された、比較的富裕とされる自営農民の総称である。日本語では富農と称される事も多い。土地を所有し、ミールと呼ばれる従来の農村共同体の中では比較的自由な存在であった。
ソ連時代には、農業集団化に反対するウクライナの自営農民に対するレッテルとして使用された感が強く、日本語訳の「富農」という言葉からも「共産主義に反対して個人で富を蓄える農民」というニュアンスが伺われる。「クラーク」というロシア語も、「けち、欲張り」という意味で使われることがある。
[編集] 概要
クラークは1906年から開始されたピョートル・ストルイピンによる自由主義的改革(ストルイピン改革)によって登場し、ロシア農業の担い手として成長した。1917年のロシア革命後、ウラジーミル・レーニンを首班とするソビエト政権が戦時共産主義を敷くとクラークは大きな痛手を負ったが、その後のネップ期には再び復活した。
しかし、1928年にヨシフ・スターリンが第一次五ヶ年計画を発表し、コルホーズの創設による農業集団化を強行する際、クラークは資本主義を代表する階級敵と規定され、絶滅の対象とされた。多くのクラークが処刑され、それを免れても強制収容所へ連行された。この際の犠牲者数は100万人を超えるという説もある。
特にロシア内戦やウクライナ・ソビエト戦争で手を焼いたウクライナ人に対するモスクワ政府の態度は過酷で、多くのウクライナ人がクラークのレッテルを貼られて粛清された。ウクライナ人の多くは農民で、農村においてそれまでどおりの自活を続けることを望んだため、政府の推進する農業集団化政策とはあまつさえ対立していた。ウクライナにおける大飢饉は、クラークと呼ばれた自営農家への迫害と無理な農業集団化により人為的に発生させられたものと言われている。
農民は各地で根強く抵抗したが抗し切れず、最終的に自営農地や家畜などの資産はコルホーズに接収され、クラークは完全に解体された。