ガズヴィーン州
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ガズヴィーン州(ペルシア語: استان قزوین Ostān-e Qazwīn)はイランの州(オスターン)。イラン北西部に位置し、州都はガズヴィーン。ガズヴィーン州は4郡(シャフレスターン)、18地域行政区(バフシュ)、20市(シャフル)、44行政村域(デヘスターン)、1543村(デフ)を擁する。
人口は2003年現在、100万強。62%が都市に住み、38%が農村で暮らしている。男女比は男50.7%に対し、女49.3%。ムスリムが99.6%で大部分を占め、その他の宗教が0.4%。識字率は82%強で、全国第7位である。
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[編集] 地理と気候
面積は15,821km²。東経48度45分から50度50分、北緯35度37分から36度45分にかけて位置している。北にマーザンダラーン州、ギーラーン州、西にハマダーン州、ザンジャーン州、南にマルキャズィー州、東にテフラーン州と境を接する。
州内の山々ではサイヤーラーン、シャー・アルボルズ、ハーシュチャール、セフィード・クーフ、ショジャーイェ・ディーン、アレフターレフ、ラーマンド、アグ・ダグ、ハラガーン、サーリーダグ、ソルターン・ピール、スィヤーフクーフが有名である。このうちシャー・アルボルズが4056m、サイヤーラーンが4175mでもっとも高い。すべてアルボルズ山脈の中央部に属する。最も標高が低いのはターロメ・ソフラーである。
気候は、北部では冬に寒く降雪があり、夏は温暖である。南部は冬にやや寒く、夏暑い。
[編集] 概要と歴史
ガズヴィーンはサファヴィー朝の旧都で、2000を超える建築・遺跡などの文化財がある。文化的中心として古くより栄えたガズヴィーンの街が、今日の州都ガズヴィーンである。
ガズヴィーン平原における農耕定住地の存在は紀元前7000年ころまで遡ることが考古学的調査によって判明している。「ガズヴィーン」の名はカスピ海南岸に分布したカス族(Cas)に由来し、西洋の文献ではKazvinやKasvin、あるいはCasbinと転写されてきた。カスピ海の名も同様にカス族に由来する。ガズヴィーンはテフラーン、エスファハーン、ペルシア湾とカスピ海沿岸、アナトリアの結節点に位置し、長く戦略上の要衝となってきた。
ガズヴィーンはイラン史を揺り動かす震源であったといってもよい。イスラーム初期にはアラブ軍の拠点となった。13世紀にはチンギス・ハーンによる破壊を受けた。サファヴィー朝は1548年以降、1598年にエスファハーンに遷都するまでガズヴィーンを首都とした。ガージャール朝以降、ガズヴィーンはテフラーン周辺にあって、政府によるイラン統治の最重要拠点であった。
両大戦期にはロシア帝国軍、ソヴィエト連邦軍による攻撃と占領を受けた。パフラヴィー朝の成立に至る1921年のクーデタもまたガズヴィーンから始まった。ガズヴィーンはアラムート砦にも近い。「暗殺教団」として知られるニザール派(シーア派イスマーイール派の一派)の拠点となった場所で、指導者ハサネ・サッバーフはここから指揮を執った。このような歴史を経て、ガズヴィーンは人口29,000(1996年現在)のガズヴィーン州の州都となって現在に至っている。
[編集] 地域
ガズヴィーン州の郡(シャフレスターン)と市(シャフル)を以下に示す。
- ガズヴィーン郡
- ガズヴィーン市 | エグバーリーイェ市 | ビーデスターン市 | アルヴァンド市 | モハンマディエ市 | クーヒーン市 | マフムーダーバード・ネムーネ市 | ラーズミヤーン市 | モアッレム・ケラーイェ市
- ターケスターン郡
- ターケスターン市 | エスファルヴァリーン市 | ホッラムダシュト市 | ズィヤー・アーバード市
- ブーイーン・ザフラー郡
- ブーイーン・ザフラー市 | アルダーグ市 | アーヴァジュ市 | ダーネスファハーン市 | シャール市 | アーブギャルム市
- アーブイェク郡
- アーブイェク市
[編集] ガズヴィーンの名勝、観光地
ガズヴィーンには最も古いもので9,000年前にさかのぼる複数の考古学遺跡がある。また 23のニザール派などの城塞跡が周辺に残る。ガズヴィーン市内にはサーサーン朝代の遺跡の一つ、メイムーン・ガルエがある。
ガズヴィーンが首都となったサファヴィー朝代から残る建築は多くはない。その中で最も有名なのは、ガズヴィーン中心部のアリー・カプ邸宅で、今日では博物館となっている。
[編集] モスク
イスラーム、特にスーフィズム、ハディース学、法学(フィクフ)、哲学の隆盛により、ガズヴィーンには多くのモスク、マドラサ(イスラーム学院)が建てられた。その中でも有名なものを以下に示す。
- ジャーメ・アティーグ・モスク: イランのもっとも古いモスクの一つ。807年、ハールーン・アッ=ラシードの命により建設された。モンゴル帝国の侵攻にともなう破壊にもかかわらず、今日も偉容を誇っている。
- ヘイダーリーイェ・モスク: 前イスラーム期にさかのぼる。モスクに改装される以前はゾロアスター教寺院であった。1119年の地震ののちアミール・ホマルターシュによって再建。
- アン・ナビー・モスク(ソルターニー・モスク): サファヴィー朝期創建。古いモスクの一つで、14,000m²nの敷地を持つ。
- サンジーデ・モスク: 前イスラーム期にさかのぼる。もとゾロアスター教寺院。セルジューク朝代に今日の姿になった。
- パンジェ・アリー・モスク: サファヴィー朝期に王家のハレムの人びとの礼拝所であった。
- ペイガムバリーイェ学院モスク: 碑銘によると1644年創建
- モッラー・ヴェルディーハーニー学院モスク: 1648年創建
- サーレヒーイェ学院モスク: 1845年創建
- シェイホルエスラーム学院モスク: 1903年再建
- エルテファーティーエ学院: イルハン朝期にさかのぼる学院
- サルダール学院モスク: 1815年、ホセイン・ハーン、ハサン・ハーンのサルダール兄弟の創建。イラン・ロシア戦争での戦勝と帰還の祈願誓約によるもの。
[編集] 教会、ロシア建築
ガズヴィーンには19世紀末から20世紀初にかけてのロシア人の建築が3つ残っている。現在の市庁舎(以前はバレー劇場)、貯水施設、正教会である。教会にはロシア人が葬られている。
ピエトロ・デッラ・ヴァッレ(1588-1713)、ジャン・バティスト・タヴニエ(1605-1689)、ジャン・シャルダン(1643-1713)らの旅行家によれば、ガズヴィーンには長い間、さまざまな宗派のクリスチャンが数多く生活していたという。ガズヴィーンには聖フリプシメ教会があり、イエス・キリストの顕現を4人のユダヤ教預言者が伝えたのもこの地であると伝わる。その墓所は民間の信仰を集めて「ペイガムバリーイェ」と呼ばれている。
[編集] 城塞
今に残る城塞のほとんどが中世イスマーイール派ニザール派のものである。
- アラムート城塞
- ラムベサール城塞
- シールクーフ砦
- ゲズ・ガレ砦
- シャミラーン城
- メイムーン・ガルエ
- バラージーン・ガルエ
[編集] 墓廟
ガズヴィーンの市門は9世紀には7つがあったといい、その後ガージャール朝代には以下の9つになっている。それぞれの市門(ペルシア語: دروازه darvāze)を通って、道は周辺の都市などに通じていたのである。
- パンベ・リーセ門
- シェイハーバード門
- ラシュト門
- マグラヴァク門
- ハーンダグバール門
- シャーザーデ・ホセイン門
- モッサラー門
- テフラーン門
- ラーヘ・クーシュク門
20世紀に入っての急速な市域拡大により、今日では最後の2つしか残っていない。その他のガズヴィーン州の史跡には以下のようなものがある。
- チェヘル・ソトゥーン宮博物館
- ホセイニイェ・アミーニーハー(ガズヴィーン固有の伝統的イラン住宅建築)
- シャー・アッバースィー橋
- サファー浴場
- ガージャール浴場
[編集] ガズヴィーンの著名人
ガズヴィーンに生まれ、あるいは暮らし、あるいは葬られた学者、スーフィーは実に数多い。墓廟はガズヴィーン州内各所に点在している。立派なシャーザーデ・ホセイン廟もあるが、シーア派のイマーム・フサイン自身はガズヴィーンの出身ではない。
- アリー・アクバル・デフホダー: 言語学者でイラン最初の近代ペルシア語辞典の編纂者。ガズヴィーン出身
- ウバイド・ザーカーニー: 14世紀の著名な詩人。風刺的・反道徳的な詩句で有名。「鼠と猫のマスナヴィー」は政治風刺である。
- ウバイス・カーラーニー: イスラーム初期、ダイラム人との戦いの中、当地で殺害されたと考えられている。墓廟は「ソルターン・ヴェイス」。
- ハムド・アッラー・モストウフィー: イルハン朝の歴史家、著述家(1281-1344)。「撰史」(ターリーヘ・ゴズィーデ)、地理篇で有名な「心魂の歓喜(ノズハトルゴルーブ)、「ザファル・ナーメ」などがある。廟は青緑色の円錐ドームをもち、銘はスルス体でモストウフィー家の家系と作品が記されており、ガズヴィーンの建築の中でもひときわ目立つ。
- アフマド・ガザーリー: 1126年没。有名なスーフィズム思想家。アブー・ハミード・ガザーリーの弟。シャーザーデ・ホセインのそばに葬られている。16世紀末までには有名な巡礼地となっていた。シャー・タフマースプ1世の哲学・神秘主義への忌避によりガザーリーの墓廟は破壊されたため、ガザーリーの継承者らはエマームザーデ・エスマーイール通の現在地への移葬し新たな廟を建立した。モハンマド・ガージャール・ハーンの時代に再び破壊され、現在のものは1910年にモジュドルエスラーム・ガズヴィーニーによって再建されたもの。この墓廟の脇には1625年のソルターン・セイイェド・モハンマド・ワーリー廟がある。
- モッラー・ハリール・イブン・ガーズィー・カズウィーニー: 1678年没。サファヴィー朝の著名なイスラーム法学者、クルアーン注釈者。
- シャヒード・サーレス: 1846年没。
- ライーソル・モジャーヘディーン: 後のミールザー・ハサン・シェイホルエスラーム。ミールザー・マスウード・シェイホルエスラームの子。ガズヴィーンにおける立憲主義者・自由主義者の指導者。イラン立憲革命においてガージャール朝の小専制打倒への努力によりライーソル・モジャーヘディーンの称号を受けた。
- アリー・イブン・シャーザーン
- イブン・マージェ: アッバース朝時代に活躍したハディース学者(824-87)。スンナ派で最も権威あるハディース集の六書のひとつである『スナン』を著す。
- ヘイロル・ネサージュ
- イブラーヒーム・イスタンベフ・ヘラーヴィー
- ラーズィーオッディーン・ターレガーニー
- ヌールオッディーン・ギーリー
- アリー・イブン・ガーズィー・アフマド
- エマームオッディーン・ラフィーイー
- スィアーフ・コラーフ
- ヴァーエズ・ガズヴィーニー
- アッラーメ・ザラバーディー
- シェイフ・アラーク・ガズヴィーニー
- ダーウード・イブン・スライマーン・ガーズィー
- ピーレ・セフィード
- ピーレ・アーラムダール
- モッラー・アブドルワッハーブ・ダーロルシャフィーイー
- モハンマド・イブン・ヤフヤー:「ガムーソル・ロガート」の注釈者
- ゴッラトルエイン: 有名なバーブ教徒女性。
[編集] 今日のガズヴィーン州
[編集] 農業
ガズヴィーン州の耕地は13,000km²、イラン総耕地の12%を占める。多数のガナートや深い井戸、ターレガーンおよびズィヤーラーンのサングバーン・ダムからの運河によって灌漑されている。おもな農産品はブドウ、ヘイゼルナッツ、ピスタチオ、アーモンド、クルミ、オリーブ、リンゴ、小麦、テンサイ、ザクロ、イチジク、その他の穀物である。畜産、養鶏、漁業も州内各地で行われている。
[編集] 産業
ガズヴィーン州はテフラーンとタブリーズを結ぶ鉄道、高速道路の経由点にあり、パフラヴィー朝以来、ガズヴィーン州はその好立地により、イランにおける産業発展の旗手の役割を果たしている。ガズヴィーン州は今日では綿織物、絹織物、ビロードなどの織物貿易の中心地で、皮革も扱う。ガズヴィーンにはイラン最大の発電所の一つシャヒード・ラジャーイー発電所があり、イランの電力の7%を供給している。
[編集] 高等教育機関
[編集] 外部リンク
[編集] 公式サイト
- ガズヴィーン州政府
- ガズヴィーン福祉協会
- ガズヴィーン農業ジハード協会
- ガズヴィーン州商業協会
- ガズヴィーン州教育庁
- ガズヴィーン州計画管理庁
- ガズヴィーン州住宅都市計画庁
- ガズヴィーン州自然資源庁
- ガズヴィーン州農業協同組合庁
- ガズヴィーン州協同組合庁
- ガズヴィーン州交通庁
- ガズヴィーン州農業水資源環境庁
- ガズヴィーン州水資源環境庁
- ガズヴィーン州畜産保健庁
- ガズヴィーン州技術訓練庁
- ガズヴィーン州法務施設総合事務所
- ガズヴィーン州関税局
[編集] その他サイト
- ガズヴィーン化学者協会
- ガズヴィーン技術者ビューロー
- ガズヴィーン建築技術規制委員会
- ターバーン新聞 (ガズヴィーンが拠点)
- セダーイェ・サナアト(ガズヴィーンの月刊経済誌) * ガズヴィーン電話帳
- サーネエ・プーイェシュ(ガズヴィーン州の産業コンサルタント)
- ガズヴィーン写真家協会
- ガズヴィーン州インフォメーション・ネットワーク
- ガズヴィーン観光協会
- ガズヴィーン州文化遺産協会
- ミール・エマード・ガズヴィーニー・ウェブサイト
- ガズヴィーン・ヴィジュアルアーツ協会
- ガズヴィーン書家会議
- ガズヴィーン赤新月社救急隊
- テビヤーン(ガズヴィーン宗教文化協会)
- ガズヴィーン工業団地会社
- ガズヴィーン電力会社
- イランの州
- テフラーン | ゴム | マルキャズィー | ガズヴィーン | ギーラーン | アルダビール | ザンジャーン | 東アーザルバーイジャーン | 西アーザルバーイジャーン | コルデスターン | ハマダーン | ケルマーンシャー | イーラーム | ロレスターン | フーゼスターン | チャハール=マハール・バフティヤーリー | コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド | ブーシェフル | ファールス | ホルモズガーン | スィースターン・バルーチェスターン | ケルマーン | ヤズド | エスファハーン | セムナーン | マーザンダラーン | ゴレスターン | 北ホラーサーン | ラザヴィー・ホラーサーン | 南ホラーサーン