ウクライナの国旗
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ウクライナの国旗(ウクライナ語:Державний Прапор України)。
[編集] 概要
由来には、二つ説がある。一説によると、青色は空を表し、黄色はステップ(草原)に豊かに実る小麦を表すということである。もう一方の説は、青色は水で、黄色は火であるいう。あるいは、黄色は向日葵であるという話もある。この二つの色は、長い間ウクライナ人のシンボルとして使われている。
黄色と青色の旗や紋章は、古くはキエフ・ルーシのウラジーミル1世(ヴォロドィーミル1世聖公)の時代から使用されていたと言われる。ウクライナの国章である「トルィズーベツィ」(三叉の鉾)も、同様の経緯を持つ。その後、16世紀から18世紀にかけてウクライナ・コサックの間で広く使用された。
ウクライナ民族主義の盛り上がっていた1848年には、正式にウクライナ民族を現す旗として黄色と青色の旗が選定された。但し、このときは黄色が上部であった。この旗が選出された西ウクライナは当時オーストリア・ハンガリー帝国領下にあった。
その後、ロシア革命後の1918年に当時の独立国家ウクライナ国民共和国のウクライナ中央ラーダ(中央議会)で正式に国旗として制定された。また、西ウクライナ国民共和国やウクライナ国でも同様の国旗が使用された。
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国時代には、他のソ連構成共和国の国旗に類似した下部が青色で上部が共産主義を表す赤色の国旗が使用された。赤色の部分には、鎌とハンマー、赤い星があしらわれていた。
1992年にウクライナが独立すると、ヴェルホーヴナ・ラーダ(最高議会)で中央ラーダ時代の国旗が再制定された。現在のウクライナは、国旗・国章・国歌ともに中央ラーダ時代のものを踏襲している。
1918年3月22日に制定された際の国旗。現在の国旗とは色の配置が反対である。 |
[編集] 関連項目
- 国旗の一覧
- 類似する旗
- オーストリア・ニーダー・エースターライヒ州の旗
- イタリア・ゴリツィア県の旗