ウラジーミル1世
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ヴォロディーメル1世(-いっせい、955年頃 - 1015年7月15日)は、キエフ公国の大公(在位978年 - 1015年)。スヴャトスラフ1世と侍女マルーシャの子。
ルーシ年代記によれば、彼の本名はヴォロディーメル (Володимеръ)である。その発音はロシア語の「ウラジーミル」よりウクライナ語の‘「ヴォロディーメィル」に近い。
智勇兼備の人物であったため、父・スヴャトスラフ1世存命中からノブゴロド公に任じられていた。これは、後継者として目されていたためであろう。そして父の死後、兄と大公の位をめぐって争い勝利し、大公として即位したのであるさらに南方にも進出してキエフ公国の領土を父の代から倍増させた。内政においても、ノルマン系のルス族の植民を奨励するなどして農奴制を敷く一方で、988年にはキリスト教に改宗することで東ローマ帝国皇女・アンナと結婚し、キエフ公国の権威を上昇させると共に、当時最も最先端であったビザンツ文化を取り入れるなど、優れた手腕を見せた。1015年、死去。
政治・軍事ともに大きな成果を収めたヴォロディーメル1世は名君だと言えよう。その功績は、民族叙事詩である「ブィリーナ」でも賞賛されている。
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