アラホウトク
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性別 | 牝 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1985年3月24日 |
死没 | 1998年3月12日 |
父 | トウショウボーイ |
母 | ビンゴモレロ |
生産 | アラキファーム |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | (有)アラキファーム |
調教師 | 庄野穂積(栗東) |
競走成績 | 10戦4勝 |
獲得賞金 | 1億4818万2600円 |
アラホウトク(1985年 - 1998年)は日本の競走馬。半兄に目黒記念勝ちのビンゴチムールがいる。1988年の桜花賞を勝ち、最優秀4歳(現3歳)牝馬に選出された。馬名の由来はアラキファームのアラ+兵庫県の高校野球名門校である報徳学園のホウトク。主戦騎手は河内洋。
※馬齢は旧表記で統一する。
目次 |
[編集] 戦績
1988年1月の新馬戦は2着に敗れるが、次走折り返しの新馬戦は9馬身差の圧勝。次の400万条件では芝レース初挑戦ながら後にマイルチャンピオンシップを制するパッシングショットを抑えて連勝を飾る。ここからクラシック戦線に乗り、4歳牝馬特別(西)(現フィリーズレビュー)では勝ったスカーレットリボンにはやや水をあけられたが2着に入り、桜花賞の優先出走権を獲得する。そして本番の桜花賞では5番人気ながら直線でよく伸び1.34.8のレースレコードで優勝、GI初制覇を飾った。4歳牝馬特別(東)(現フローラステークス)勝利を挟んで2冠に挑戦した優駿牝馬(オークス)だったが距離の壁なのか7着と大敗。その後は秋に3戦走ったが1度も勝てず、エリザベス女王杯4着を最後に年内で引退した。
[編集] 繁殖牝馬として
重賞勝ち馬こそ出なかったが、ラジオたんぱ杯3歳ステークス2着で東京優駿(日本ダービー)にも出走したオースミコンドルなどなかなかの活躍馬を輩出した。1998年3月12日にフォーティナイナーとの交配中の事故により背骨などを骨折し、死亡した。
[編集] 主な勝ち鞍
[編集] 血統表
アラホウトクの血統 (プリンスリーギフト系(ナスルーラ系)/Nasrullah4×4=12.50% Hyperion4×5=9.38%) | |||
父
トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Suncourt | Hyperion | ||
Inquisition | |||
*ソシアルバターフライ Social Butterfly 1957 鹿毛 |
Your Host | Alibhai | |
Boudoir | |||
Wisteria | Easton | ||
Blue Cyprus | |||
母
ビンゴモレロ 1975 黒鹿毛 |
*デュール Duel 1961 黒鹿毛 |
Round Table | Princequillo |
Knight's Daughter | |||
Lea Moon | Nasrullah | ||
Lea Lark | |||
フラワースウィース 1966 鹿毛 |
*Partholon | Milesian | |
Paleo | |||
*Treaty | Pipe of Peace | ||
No Risk F-No.4-l |