XF-85 (航空機)
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McDonnell XF-85 Goblin | ||
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概要 | ||
用途 | 戦闘機 | |
乗員 | パイロット 1 名 | |
初飛行 | 1948-08-23 | |
運用開始 | 試作のみ | |
メーカー | マグドネル | |
寸法 | ||
全長 | 4.5 m | |
全幅 | 6.4 m | |
全高 | 2.5 m | |
翼面積 | 8.3 m² | |
重量 | ||
空虚 | 1,696 kg | |
運用 | 4,550kg | |
最大離陸 | kg | |
動力 | ||
エンジン | Westinghouse XJ-34-WE-22 | |
出力 | 13 kN | |
性能(目安) | ||
最大速度 | 1,069 km/h | |
巡航速度 | ||
航続距離 | ||
実用上昇限度 | 15,000 m | |
上昇率 | 3,800m/min | |
武装 | ||
機関銃 | 12.7 mm ×4 | |
その他 |
マクダネルXF-85ゴブリンは、アメリカの試作戦闘機である。戦略爆撃機B-36を護衛するために、B-36の爆弾槽内に収納されて、戦闘空域まで運搬されるパラサイト・ファイターとして構想された。製造はマクドネル社。
[編集] 概要
爆撃機の護衛を行う戦闘機は、一般に航続距離が短いことが欠点であった。特にB-36は長距離爆撃機であり、爆撃目的地上空まで爆撃機に随伴できる戦闘機はなかった。そのため、B-36の爆弾槽内に収納することにより、戦闘空域まで戦闘機を輸送する方法が考えられ、製造されたのが本機である。戦闘時には親機から発進し敵機を撃退、戦闘終了後に親機に帰還する方法をとる。
概念は1942年頃から構想されていたが、本格的な開発は1945年以降のことである。1946年にモックアップが完成している。1947年2月2日にXP-85として2機の試作機が発注された。
爆弾槽内に収納されるために非常に特異な形状をしており、胴体は短く、着陸脚はない。胴体前部、コックピットの直前に収容用のフックが設置されている。なお、フックは飛行中、胴体内に収容される。モックアップ時点ではX字型の4枚尾翼であったが、試作機では5枚に尾翼が増やされ、風洞試験の結果を受けて最終的に6枚となった。また、飛行試験の結果を受け、主翼端に方向安定板が追加されている。
1号機は1947年10月に完成したが、当初はエンジンを装備せず、主に風洞試験に用いられた。2号機は1948年7月からEB-29Bを親機として、飛行試験に用いられた。8月23日に初の自由飛行に成功したが、親機への帰還に失敗し、ミューロック乾湖に不時着している。10月14日に2度目の自由飛行を行い、親機への帰還に成功した。この後、1号機も飛行試験に用いられたが、やはり親機への帰還に失敗し不時着している。
飛行試験の結果を受け、親機と再ドッキングが容易でないこと、小型で特異な形状のため飛行性能が悪く、敵戦闘機に対して充分に対抗できないこと、空中給油などで、通常の護衛戦闘機の航続距離が伸びたことなどにより計画はキャンセルされた。
製造された2機は、現在、オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館、ネブラスカ州オマハの戦略空軍博物館で見学することができる。