NHKアーカイブス
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NHKアーカイブスは、2003年2月1日にNHKのテレビ放送開始50周年記念事業として、埼玉県川口市の複合施設「SKIPシティ」内に建設された施設、並びにNHK総合テレビで毎週日曜日(月曜未明)23:10から0:30まで(作品によって時間延長あり)放送されるテレビ番組のことである。
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[編集] 施設としてのNHKアーカイブス
- NHKが保有している映像・音源などについて、その時代を映し出した様々な記録を後世の代まで広く伝えていこうということで開設された。NHKのテレビ・ラジオ番組等の膨大な量の映像・音声素材を収蔵している。また全国のNHK各局と専用回線で結ばれ、素材を伝送することにより番組制作へ活用できるようになっている。
- 埼玉県との共同運営による「番組公開ライブラリー」が併設され、ここではNHK製作のドキュメンタリー、ドラマ、歌番組など、権利関係の処理を済ませた約6000本の映像・音声素材、および埼玉県が所有する映像素材を自由に視聴することが可能である。また、人形劇の人形、各種の放送用ビデオテープなど放送に関連した資料の展示が行われている。
- なおNHKの映像ライブラリーは全国各地の放送局など52箇所(2006年11月現在,NHKアーカイブス併設を除く)でもNHK番組公開ライブラリーとしてオンラインで視聴することができる。
- 現在この施設が、放送と通信の融合に関わる要所として、日経ビジネスオンライン版(2006年4月10日掲載)「成長力失ったNHKがすがる救世主」と題した記事で注目されている。
[編集] 番組としてのNHKアーカイブス
- 基本的には、前項の施設とテレビ番組の連動という形を取り入れており、施設開館に先駆けて2000年4月9日より毎週日曜日にNHK総合テレビでの番組放送を開始している。基本的には臨時ニュースで一部が放送できなかったとき以外の再放送はない。ナビゲーターは加賀美幸子。
- 2000年度は主に1960年代、2001年度は1970年代にNHKが製作した番組を振り返って放送していたが、2002年度以降はもう一度見てみたい番組を視聴者のリクエストなどに基づいて放送している(途中2003年1~3月=冬季編成中は一時中断)ほか、毎年終戦記念日前後にはその関連の映像素材を取り上げている。また番組に出演した縁のある人物をゲストに迎えたり、その場所の現状報告なども行われる時がある。
- 2006年1月からの番組大改正に伴い、放映時間がそれまでの日曜23:10-(月曜未明)0:30(作品による)から、日曜深夜(月曜未明)の24時から1:20(作品による)に変更されたが、同年4月からは再び元の日曜23:10から0:30に復帰となった。
- 通信・放送の在り方に関する懇談会が、「(NHKの)番組アーカイブをブロードバンド(高速大容量)上で積極的に公開すべき」との方針を打ち出したことで、総務省がNHKのネット進出容認へ向けた方向で動き出すことになった。日経ニューメディア(2006年5月12日掲載)「解説:総務省がNHKのネット進出容認へ」
- 2006年6月4日の放送では、番組史上において初めて臨時ニュース(秋田県で起きた男児殺害事件の犯人逮捕)により一部の内容が放送されなかった。6月15日(木曜日)の早朝という定時とは異なる枠で放送しなおし、8月20日の通常枠でも再放送された。ちなみに、この時の放送は北海道で地上デジタル放送が放送開始になったのを記念して、北海道に関する番組を再放送していた。
[編集] 通年特集企画
- 2005年は、原則毎月第3日曜日に放送されるNHKスペシャル 新・シルクロード(21時~22時)の放送に合わせて「特選アーカイブス・シルクロード」を放送。これは新・シルクロードで放送された番組の舞台を、1980年の「シルクロード-絲綢之路-」と比較してもらうという意味合いを込めて放送した。
- また2005年が終戦60周年であるということで、8月まで原則毎月1回程度「平和アーカイブス」と題して戦争(主として広島・長崎の原爆)をテーマにした番組を取り上げた企画も行われた。
- 2006年度からは日本の環境公害問題の原点とされている水俣病が確認されて50周年を迎えるのを機に、地球環境のあり方を問うたテーマの番組を集めた「環境アーカイブス」を原則毎月1回程度放映する。10月からは再放送も不定期に行われる予定。
[編集] 映像のデジタルリマスタリング
- このNHKアーカイブスの施設開館、並びに放送を実施するに当たって、製作された当時の映像を当時の雰囲気そのままに伝えるために、スタッフがデジタルリマスタリング(修復)処理を実施している。この方式は番組としてのNHKアーカイブスが放送される直前の2000年1月~3月に総合テレビ深夜放送でシリーズ放送された「よみがえる新日本紀行」で初めて紹介された。
- 1959年にNHKは送出用として2インチのアンペックス方式VTRの使用を開始する。それから1981年頃までの間は、送出用として同方式のVTRを使っていた(1976年から1インチVTRが送出用として使われ、1981年頃からしばらくの間この方式に一本化される)。この方式のビデオテープは非常に高価だったために(1964年、富士フイルムがそれを国産化しても、1980年頃の生産終了まで1本(60分)当たりの単価が10万円以下になることはなかったという 現在の放送業務用ビデオテープ1本あたりの単価は安くても1000円台からになっているため保存が可能になった)、テープを使い回しせっかく収録した番組も次の収録で上書きされ失われているのがほとんどである(特に、1970年以前の番組でビデオテープで残っているのは数えられるほどしかないものの、それでも「東京オリンピック開会式」、「メキシコオリンピック」の一部、「NHKイタリアオペラ演奏会」、カラー本放送開始記念番組「能 道成寺」等、非常に資料や芸術的価値の高い貴重な物については、2インチVTRのままで残されているケースが多い)。一部の番組は「キネレコ」という装置でフィルム映像に変換して残されたり(紅白歌合戦の第14回(S38年)・第21回(S45年)もこの方式で録画、ただし第21回の保存状態は悪い)などしたが、大部分の番組は前記の様に失われてしまったため、著作権法に基づく権利を行使し、視聴者のエアチェックなども収集している。
- 元NHKアナウンサーの宮田輝は、1960年代前半からオープンリールの家庭用VTRを所有していた。自身が司会を務めた、1960年代前半の紅白歌合戦、思い出のメロディー、ふるさとの歌まつりの放送は自宅で録画され、その映像は後にNHKに提供された。
- 特にフィルムの場合は年月を置くと映像・音声とも劣化してしまうので、放送原版のフィルムを一旦特殊な液などで汚れをふき取り、フィルムの破損部などはコンピューターでその部分を修復する処理・加工を行う。
- 日本のテレビ放送方式(NTSC)では原則として1秒の動画は30コマ(30フレーム)となっているが、走査線が上から下に2回走っていることで1つの画面が構成される。しかしフィルム映像の場合は16mmフィルムでは1秒間24コマで構成されるので、1秒30フレームを、60フィールドに分割し、それをさらにフィルムの24コマに変換する事で16ミリフィルム1コマ単位に置き換えて細心の注意を払った上でリマスタリング作業を実施する。525方式の放送の30分番組の修復時間は平均20~30時間、16ミリフィルムからハイビジョン映像に変換した30分番組は平均で40~60時間の修復時間が必要だといわれている。→テレシネを参照のこと
[編集] アーカイブスと権利保護
デジタルリマスター処理を行った番組の全てが、公開されるわけではない。それは、法律に基づく様々な権利関係の処理作業が必要となるからである。
アーカイブス番組でもそのあたりの事情が説明されていたが、デジタルリマスター処理と平行して、番組に映っていた人物などを全て割り出し、本人や遺族など関係者と連絡をとって、再放送や公開に関しての許諾を得なければならない。ひとりでも許諾が得られなければ、その番組は再放送・公開することができない(なお、映像加工されて放送・公開されたことは今まで一度も無い)。これは、肖像権に基づくものである。
現在の番組ではこうした点を考慮して、ニュースなどを除いては、企画段階においてあらかじめ権利関係を全て処理する作業を行い、DVDソフト販売などを行いやすくするようになっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部参照リンク
- 以下原則毎月1回放映