JDスター女子プロレス
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JDスター女子プロレスは、1996年に設立されたプロレス団体の一つで、 以前の団体名は吉本女子プロレス Jd’。団体名はジャンヌ・ダルクの頭文字の『J』と『D』からとられている。
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[編集] 概要
[編集] 旗揚げまでの経緯
吉本興業が中国進出を計画した際、言葉の壁から、今までの芸人による興行形態では進出は難しいと判断し、言葉を必要としないスポーツからアピールする事を思い付き、当時ブームが沸き起こっていた女子プロレスに目を付け、団体旗揚げを計画する。
他団体との軋轢を回避する為に、あえて引き抜き等の手段を使わず、当時全日本女子プロレスにフリーランスとして参戦していた、ジャガー横田・バイソン木村の二名を全女の了解を得た上で移籍させ、全女を引退していた白鳥智香子・李由紀の二名を加えた四名を所属選手として契約、同じく全女に参戦していたライオネス飛鳥をフリーランスとして招聘、さらに全女を引退していた神谷美織が覆面レスラー『Cooga』としてカムバックし、後の選手は新人から育成する事で陣容を整える。
[編集] 旗揚げ
旗揚げ戦は、1996年4月14日東京・六本木のディスコ『ヴェルファーレ』にて行われ(その前年の12月24日・12月25日の二日間、大阪のベイサイドジェニーにてプレ旗揚げ戦を行っている)、メインイベントに週刊プロレス提供試合として、バイソン木村VS豊田真奈美戦を行う(これに関しては、この試合をきっかけに、週プロと組み色々と行う企画があったが、諸事情によりうやむやとなり、これ一回のみで終了してしまう)。
旗揚げ当初は、吉本のバックアップの元、覆面コミッショナーとして桂三枝を起用、プレ旗揚げ戦ではゲストに西川きよしを来場させ、マスコミに対してアピールを行い、又、旗揚げ前の様子を特番としてテレビ放送するなど大掛かりな展開を図っている。
その後、新人もデビューし、ライオネス飛鳥のヒール転向による抗争等もあり、徐々に団体としての形も出来てくるが、基本的にジャガーがコーチをしていた事もあり、育成方法が全女と被る部分もあり、どうしても地味な印象が拭えず、又プロレスに関しては経営経験の無かった吉本興業が、全女をモデルに興行を行っていた為、プロレスファンから『全女の2軍』的な目で見られてしまう。さらにエースとして期待したバイソン木村が引退、白鳥・李も自分達への扱いの不満から団体を離脱。さらに、将来のエースとして期待していた小杉夕子や曽我部美幸が引退するといった事態が発生し、これらの事もあり、吉本興業が期待していた収益を上げる事が出来ずに、苦しい団体運営を続ける事になる。
[編集] アストレスの誕生
この苦しい状況を打破する為に、「新世紀スター誕生 アクション・シンデレラ・ オーディション」を開催。オーデションに合格した際には、2年間限定でプロレスを行い、その後アクション女優として吉本興業がバックアップすると言う企画で、これが後のアストレス(アスリートとアクトレスを合わせた造語)となる(ただし、デビューして2年以上経過した現在でも、プロレスを続けている選手もおり、アクション女優として大成したレスラーもいない為、『アクション女優の育成』と言うテーマは成功したとは言い難いが、純粋に男性ファンを対象とし、それまでのレスラー像と違う女子プロレス像を作ろうとした事は一部では評価されている)。
[編集] Jd’からJDスターへ
苦しい経営が続く中、大手商社による資金面によるテコ入れ等もあったものの、女子プロレスブームも終焉を迎えていた事もあり、2003年3月吉本興業が資本撤退し、経営権をジェイオフィス・グループに譲渡し、同年4月に団体名を『JDスター女子プロレス』と変え、吉本はプロレス経営から退く事になる。
[編集] 現在
経営者は変わったものの、経営は苦しい事に変わり無く、アストレスの一部を除き、Jd’時代の所属選手の多くが離脱、一時はAtoZと業務提携を行うものの、わずか4ヶ月で提携は解消。現在は団体としてでは無く、プロダクション形式で所属選手だけでなく、他団体の選手やフリーランスの選手を招き興行を行っている。
旗揚げ前から吉本興業がバックアップしていた為、テレビ番組での番宣や、所属選手達の番組出演など、他団体に比べ恵まれた環境にあったが、団体を支えるべきスター選手が誕生しなかった事と、スタート時に全女を参考に団体運営を行った為、地味な印象を与えたまま、最後までそれを払拭出来なかった事が災いし、例え大手の芸能プロダクションがバックアップしても、それが成功するとは限らないと言うイメージを作ってしまった事が悲劇とも言える。
[編集] テレビ放送
現在CS放送 GAORA で毎月「 プロレスKING 」の枠で放送中
[編集] その他
Jd’時代、『お笑い王者決定戦』と云うタイトルで、リング上で芸人同士のトークバトルを行い、リットン調査団 ・雨上がり決死隊が参加したが、いつもと勝手が違って緊張したのかスベリまくり、プロレスファンの評判は良くなかった(ただし、このバトルのコミッショナーとして登場した、坂田利夫は大歓声で迎えられている。尚、この『お笑い王者決定戦』は、評判が良くなかった為、2回で終了しているが、この2回目にはモリマンが参加している)。
Jd’時代のリングアナウンサーを高杉二郎(現高杉’Jay’二郎)が行っていた。
Jd’時代に行われたイベントで、当時まだ無名に近かった極楽とんぼの二人が司会を行っている。
元所属選手の東城えみがドレイク森松とのシングルで「負けたらアダルトビデオ出演」という条件の試合で敗北し、試合後そのまま撮影が行われた。会場(新木場1st)や撮影会社を巻き込んだスキャンダルとなったが、結局DVDは発売された。