F3H (戦闘機)
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F3Hは、アメリカ合衆国のマクドネル社が開発した艦上ジェット戦闘機。愛称はデーモン(Demon)、1951年初飛行。生産機数は多くなかったものの、おおまかな機体デザインは後継機のF4HファントムIIに受け継がれた。
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[編集] 概要
単発エンジンで主翼は後退翼・低翼配置の機体である。インテイクは機体前部、コックピット脇にある。尾翼は排気口より後ろにある。後のF4Hはこの機体の大まかなデザインを受け継いでいる。主翼外側は上方に折りたたむことができた。
武装は、20mm機関砲や爆弾・ロケットのほか、レーダー誘導のスパロー空対空ミサイルを搭載していた。
[編集] 開発・沿革
アメリカ海軍は、FH-1ファントムを皮切りに艦上ジェット戦闘機の開発を続々と行い、F9Fパンサー(1948年初飛行)など、その性能は急速に向上していた。
アメリカ海軍は1948年5月21日に各メーカーに対し、新型の高性能ジェットエンジンXJ40を用いた艦上防空戦闘機の提案要求を行った。これには6社が応じ、1948年12月にその中からマクドネル社のモデル58案(単発・後退翼)が採用された。1949年より開発が開始された。開発期間中の1950年に朝鮮戦争が勃発したこともあり、機体の目的は防空のみだけではなく、全天候能力や対地支援能力も付加されることとなった。
能力付加のほか、XJ40ジェットエンジンの開発が難航したため、開発は遅れ、試作機XF3H-1は1951年8月7日に初飛行している。
量産型のF3H-1Nは1951年3月に発注され、1953年12月24日に初飛行している。試作機3機と量産型のF3H-1Nの58号機まではJ40エンジンを搭載していたが、J40はエンジン推力が不足し、故障が頻発した。エンジントラブルにより、6機が失われ、J40も開発中止となったことから、量産機の59号機以降はJ71エンジンに変更されている。なお、59号機以降は名称がF3H-2Nに変わり、主翼も17%広いものに換装され、FCSもAPG-51に変更された。また、J40エンジン搭載のF3H-1Nは-2N仕様へ改修されたほか、改修されなかった機体は地上訓練機とされた。F3H-2Nは1956年より部隊配備が開始され、1957年7月より実戦航海に出ている。
FCSをAPG-51Bに変更したF3H-2Mも製造されており、F3H-2Nより全天候能力が向上している。最終生産型はF3H-2であり、-2N型と同等であるものの、搭載ミサイル数が6発に増加している。
F3Hは、1959年まで生産が続けられ、1964年まで使用された。なお、1962年の名称整理により、F-3に名称が変更されている。
[編集] 要目(F3H-2N)
- 全長:17.98m
- 全幅:10.76m
- 全高:4.44m
- エンジン:J71 ターボジェットエンジン(推力 6,640kg)1基
- 乗員:1名
- 武装:20mm機関砲 4門、空対空ミサイル 4発、爆弾など
[編集] 派生型
- XF3H-1:試作機。3機製造。
- F3H-1N:初期量産型。J40エンジン搭載。未配備。58機製造。
- F3H-1P:偵察機型。計画のみ。
- F3H-2N:J71エンジン搭載。142機製造。新呼称、F-3C。
- F3H-2M:FCSをAPG-51Bに変更。80機製造。新呼称、MF-3B。
- F3H-2:最終量産型。239機製造。新呼称、F-3B。
- F3H-2P:偵察機型。計画のみ。
- F3H-3:エンジンをJ73に強化。計画のみ。