DH114 ヘロン
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DH114 ヘロン(De Havilland 114 Heron)とはイギリスのデハビランド(De Havilland Aircraft Company)が開発した4発レシプロ旅客機である。DH104 ダブと姉妹機でもあるがこちらは双発機であった。また日本においても1950年代に近距離旅客機として運用されていた。
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[編集] 概略
デハビランドDH114ヘロンの開発は市場の動向から遅れ、DH104 ダブよりも遅くなった。そのため生産決定は1940年代後半になってからで、初飛行は1950年5月10日のことであった。機体はダブを大きくすることで、共通部品を多くすることにし、胴体を延長するとともに2機のエンジンのために翼長を延長するものとした。また最初に引き渡された航空会社はNAC(ニュージーランド航空の前身)であった。また初期に生産されたヘロンは降着装置が固定式であったが、後のMk2では引き込み式に改良された。149機が生産され、およそ30カ国に輸出された。
またヘロンは4発であったが、それぞれが250馬力しかもたないデハビランド・ジプシークイン30エンジンであったため、非力であった。初期生産型であるMk1A-Dが51機生産された後、Mk2が生産されこちらは降着装置が引き込み式になった。また燃料消費を減らすとともに、いくぶん最高速度を上げた。また1963年にはエンジンを換装して双発に改造された機体もあった。
[編集] 日本のヘロン
発足間もない日本航空(旧)がローカル線に使うつもりでヘロン3機を購入したが、受領したときには特殊会社の日本航空となり、ローカル線の運行ができなくなったため、未使用のまま(乗員訓練に短期間使用したが)日本ヘリコプター輸送(現在の全日本空輸)に売却し、「白鷺」の愛称で運用していた。
- 東亜航空(TAW/その後の日本エアシステム・現在の日本航空インターナショナル)は多くのヘロンを運用していたが、搭載エンジンの部品入手が困難になり、エンジンをアメリカのコンチネンタルIO-470に換装し、「タウロン(TAWロン)」と命名し運用していた。「TAWロン」とはTAW(東亜航空)+ヘロン」の合成語である。
- 日本国内で保存されていたヘロンがあった。これは東亜航空(本社が広島市にあった)が運用していたJA6151(1968年登録抹消)で、広島県東広島市西条町にあったドライブインの屋上で1970年から展示保存されていたが、2000年ごろに解体され現存していない。
[編集] 要目(Mk2D)
- 操縦乗員:2
- 乗客:14(最大)
- 全長:14.78 m
- 全幅:21.80 m
- 全高:4.75 m
- 自重:3,700
- エンジン:デハビランド・ジプシークイン30 Mk 2
- 出力:250HPX 4
- 最大速度:295km/h
- 航続距離:1,473 km
- 最大上昇限界高度:5600m