291ギャラリー
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291ギャラリー(にきゅういち-。291 Gallery)とは、アルフレッド・スティーグリッツが、ニューヨーク市の5番街291番地に、1905年から1917年まで開設したギャラリー。当初は、「フォトセセッションの小ギャラリー」(Little Galleries of Photo-Secession)という名称であったが、その住所から「291ギャラリー」と呼ばれるようになり、1908年に改称した。
もともとは、その名前のとおり、フォト・セセッションのための展示スペースであったが、次第に、写真だけではなく、ヨーロッパの前衛美術を紹介するスペースとなっていき、次のような作家の展示が行われた。
ヨーロッパ出身の作家では、ロダン(Auguste Rodin, 1908年開催)、マティス、ピカソ、セザンヌ、ロートレック、ピカビア、ブランクーシなど。
アメリカ出身の作家では、
- ジョン・マリン(John Marin; 1870年-1953年, 1910年開催)
- マースデン・ハートレー(Marsden Hartley; 1877年-1943年)
- アーサー・ダヴ(Arthue Dove; 1880年-1946年)
- マックス・ウェーバー(Max Weber; 1881年-1961年)
- ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe; 1887年-1986年, 1916年に開催、最後の展覧会企画)
など。
上記の企画やその他を通じて、アメリカの前衛美術や前衛美術家をサポートしたため、美術家や収集家がこのギャラリーに集い、いわば、"291 Circle" または "Stieglitz Circle"と呼ばれるようなグループを形成した。
人脈も含め、これが、アーモリーショーやニューヨーク・ダダへもつながっていった。
[編集] 関連情報
(1) デ・ザヤス(Marius De Zayas; 1880年-1961年)が中心となって、「291」というタイトルのダダの雑誌を、1915年から1916年までニューヨークにて刊行していた。スティーグリッツや291ギャラリーは、この雑誌の編集に直接かかわってはいない模様であるが、財政面も含めて、バックアップをしていたと推測される。
(2) フランシス・ピカビアが発行したダダの雑誌、「391」(1917年から1924年まで)のタイトルは、このギャラリーおよび雑誌「291」に敬意を表してつけられたものである。
(3) 291ギャラリー閉鎖後に、スティーグリッツは、別のギャラリーを開いているが、その名称および期間は以下の通り。
- インティメイト・ギャラリー(The Intimate Gallery; 1925年-1929年)
- アメリカン・プレイス(An American Place; 1929年-1950年)