黄夫人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
改名:この記事のタイトルに関して議論や投票が行われています。詳細はこの項目のノートを参照してください。 |
黄夫人(こうふじん、? - 234年?)は、中国の三国時代に活躍した蜀の宰相諸葛亮の妻。黄氏。また「黄月英」、「黄婉貞」という名も一般的に知られるが、これらは後世の創作による名前であり史実ではない。(当時は女性の名が史書に残る事は稀で、黄夫人に関しても名自体が残されていない。つまり、創作上の必要から名付けられたものである)
目次 |
[編集] 『三国志』に見える記述
『三国志』蜀書・諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」によると、沔南の名士・黄承彦が「君は妻を探していると聞いたが、私に醜い娘がいる。赤毛で色黒の娘だが、才知の方は君とお似合いだ」と言い、諸葛亮は承知したので娘を車に乗せて送り届けた。当時の人々の笑いの種となり、郷里では諺を作って「孔明の嫁選びを真似るなかれ、承彦の醜い娘をもらうはめになるぞ」といったという。
[編集] 史実には見られない逸話
有名な諸葛亮の妻である為か、民間伝承・講談・戯曲・小説等で様々な逸話が語られている。彼女に関する多くの逸話は、後世の人々が諸葛亮に思いを馳せる際に生み出されたものと言える。そのどれもが明確な出典や根拠を得られない荒唐無稽なものであるものの、三国志の物語世界にアクセントを加えるユニークな逸話として親しまれている。以下にその代表格を列挙する。
[編集] 木牛流馬の発明家?
才女であることから転じ、天文から地理・兵法と広く学問に通じ、諸葛亮を陰で支えたといわれる。「木牛流馬を発明した」「カラクリ人形を作った」等、発明に関する逸話が多い。
[編集] 実は外国人?
赤毛色黒であるということから「実は外国人であった」という逸話。つまり黄承彦は実父ではなく、西域からの渡来人を養女にしたという解き明かしである。
[編集] 実は美女?
世俗の目を欺く為に醜女を装っているが、本当は美女であったという話。また、先の「外国人」エピソードと絡めて、当時の民衆にとっては外国人女性の容貌が奇異に見えたのだとする話もある。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 改名が提案されている項目 | 三国志の登場人物 | 234年没