麻生太吉
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麻生太吉(あそうたきち 安政4年7月7日(1857年)8月26日 - 昭和8年(1933年)12月8日)は炭鉱業者、実業家、政治家。
麻生商店社長、石炭鉱業連合会会長、九州水力電気社長、衆議院議員、貴族院議員等を歴任した。
[編集] 経歴
筑前国嘉麻郡立岩村(現・福岡県飯塚市)に大庄屋・賀郎 まつの長男として生まれる。1872年、父とともに石炭採掘に従事する。1884年鯰田で近代的炭鉱開発に着手し以後炭鉱を売却しつつ経営基盤を強化していった。1889年鯰田鉱を三菱に、1894年忠隈鉱を住友に、1904年藤棚鉱を三井に売却した。その資金を元手に様々な炭鉱を開坑し、貝島、安川・松本と共に筑豊御三家と呼ばれた。1917年から石炭販売を直接販売するようになった。1918年株式会社麻生商会を設立。1933年セメント製造業に進出し、産業セメント鉄道株式会社を設立した。
[編集] 家族 親族
- 長男・太右衛門
- 長女・マツ
- 二男・鶴十郎
- 二女・タケ子
- 三女・ヨネ子(麻生義之助に嫁する)
- 三男・太郎(妻・夏子は子爵加納久朗妹)
- 四男・太七郎
- 四女・フユ子(麻生五郎に嫁する)
- 孫・太賀吉(実業家、政治家)、 典太
- 曾孫太郎(実業家、政治家)
[編集] 関連
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