風呂哲州
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風呂 哲州(ふろ てっしゅう、1968年2月7日 - )は、日本のシンガーソングライター。広島県広島市出身。本名及び旧・芸名は風呂 哲(ふろ さとし)。
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[編集] 人物
- 尊敬する歌手はさだまさし。中学生の頃にさだまさしの曲に影響を受け、ギターに興味を持つようになる。
- 大学卒業後は京都のライヴハウスなどで音楽活動をしていた。
- 1992年3月より嘉門達夫の付き人となり、1996年1月まで代官山プロダクションに所属。
- 嘉門曰く「かなりのなで肩」。
- 父親は高校の教諭(かつて吉川晃司に授業を教えた事があるらしい)。
[編集] 付き人時代
- 嘉門が出演していた中京テレビの深夜番組『ラジごめII金曜日の王様』に、同番組放送後期よりたびたび登場するようになる。自身のオリジナル曲をエンディングで歌う機会が番組より与えられ、3週間ほどこれを担当したということもあった。
- 嘉門は風呂から使えなくなったと告げられたギター用のチューニングメーターを、上記の『ラジごめII』で視聴者向け交換特典の一つとして出品した。しかしその後、当選した視聴者より「嘉門さんから貰ったちょっと壊れてるチューニングメーターは電池交換で甦った」との投稿があり、嘉門から「風呂! おかしいやないかい!」と激怒された。
- 1993年から放送が開始されたラジオ番組『KAMON・SAIKOの爆裂スーパーファンタジー』にもたびたび出演。
- 嘉門のアルバム『NIPPONの楽しみ』に収録されている「地下鉄」という楽曲の作詞・作曲を担当した。
- 嘉門の付き人をしながら「さだまさし研究会」の会長も務めており、嘉門がラジオ番組の放送の中で「さだまさしを神様のように思っていて俺のことを屁のように思っとんねん」と言っていた。
- 1995年には「爆裂 風呂哲ライブ実行キャンペーン」が話に持ち上がったが、栄養失調で本人が入院したことにより風呂哲ライブは白紙となる。1996年1月に代官山プロを退社し、その後ラジオ番組に出演することはなくなった。
[編集] 帰郷後
- 毎月26日を「お風呂の日(お26の日)」と決め、定期的にライブを敢行している。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] CD
- 2000年 - 一番風呂(自主製作)
- 2002年 - 二番風呂(自主製作)
- 2004年 - おふろ畑 ~三番風呂~(自主製作)
[編集] ビデオ
- なし
[編集] 詩提供
- 地下鉄 - 嘉門達夫アルバム「NIPPONの楽しみ」収録
[編集] 外部リンク
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