長野県塩尻志学館高等学校
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塩尻志学館高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
通学区 | 全県区 |
設立年月日 | 1911年(明治44年) 南部乙種農学校 |
建学の精神 | 責任の完遂 自他の敬愛 真理の探究 |
共学・別学 | 男女共学 |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
学科 | 総合学科 |
制服の有無 | 無し |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒399-0703 |
長野県塩尻市広丘高出4番4号 | |
電話番号 | 0263-52-0015 |
FAX番号 | 0263-51-1310 |
mail adress | kikyo@nagano-c.ed.jp |
外部リンク |
長野県塩尻志学館高等学校(ながのけんしおじりしがくかんこうとうがっこう)は長野県塩尻市に所在する公立高校である。
目次 |
[編集] 校名
孔子の『吾十有五而志于学』(吾十有五ニシテ学ニ志ス)に基づく。論語全20編中の第2編である「為政」に収録。
孔子の言う「学に志す」とは単に入学試験・就職試験のための勉強のような一過性の学習のみにとどまらず、一生涯かけて追究する学問の道のことを指している。
また第15編である「衞霊公」で孔子は、人生を切り拓くためには「学に志す」ことが第一であるという。
地元の学生の間で使われている芋高(イモコウ)と言う愛称は、南部乙種農学校であったころ、他校の生徒と喧嘩になった当校の生徒が、自校の農園で栽培された芋を投げつけたことが始まりとされている。
[編集] 概要
農学校と女子校を前身としていることもあり、農業に関する設備や教員も充実している。また男女比率は約3:7である。
授業は前期(4月~9月)と後期(10月~3月)の2学期制を採用し、1回あたり50分の6時限制。
前身の塩尻高等学校時代は四年制大学への進学者が一桁という低迷した状況であったが、総合学科制への改組・移行に伴い、入学難易度や、大学進学実績が軒並み急上昇し、第4学区の長野県松本美須々ヶ丘高等学校や長野県田川高等学校、第3学区長野県岡谷南高等学校等、近隣の中堅グループの高校を追いあげつつある。
[編集] 沿革
- 1910年(明治43年) 南部乙種農学校設置認可
- 1911年(明治44年) 南部乙種農学校開校
- 1928年(昭和3年) 塩尻実科高等女学校開校
- 1948年(昭和23年) 南部乙種農学校が東筑摩農業高等学校、塩尻実科高等女学校が塩尻高等学校となる。
- 1949年(昭和24年) 両校の統合により桔梗ヶ原高等学校となる。
- 1965年(昭和40年) 塩尻高等学校と改称
- 2000年(平成12年) 長野県塩尻志学館高等学校と改称し、総合学科を設置。それに伴い普通科等4科の募集停止
[編集] 教育目標
現代社会における情報化・国際化の進展や産業技術の発展をふまえ
生涯にわたる人間形成の基礎を培うため多様な科目を設置して生徒の個性を伸長させるとともに
将来の職業選択を視野に入れた進路への自覚を深めさせ
社会の変化に主体的に対応できる心身ともに健康な人材を育成する
[編集] 文化祭
- 「桔梗祭」と称し、その名称は桔梗ヶ原に由来する