ノート:長征
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[編集] 記事名について
現在、長征関係では、
という構成になっていますが、普通「長征」と言えばこの共産党の行動を指すので、わざわざ曖昧さ回避にするよりは長征に書き、文末に「なお、中国製ロケットについては長征 (ロケット)を参照」と案内すればいいのでは、と思います。--Charon 2005年5月2日 (月) 07:13 (UTC)
賛成します。 提案。この記事の名称を「長征 (共産党)」から「長征」に変える。 --202.254.199.29 2005年6月21日 (火) 03:49 (UTC)
- お願いします。記事名を変更するのはかまわないのですが、どのように変えればよいのでしょうか。また、曖昧さ回避の頁は削除しましょうか。2005年7月6日 16:30 ⇒ この項のほとんどを執筆した者ですが、何故か利用者の番号が変わっています。--利用者:210.22.137.50
長征を削除依頼に出す→本項目を移動、でこの状態にすることができます。反対がなければ近いうちに実行します。--Charon 2005年8月14日 (日) 05:21 (UTC)
[編集] 記事の内容が偏向しているのでは?
記事の内容が、第一軍偏重、毛沢東偏重に過ぎ、客観性に欠けていると思います。たとえば、第四軍の指導者として張国涛の名があげられていないのはどういうことか?第一軍と第四軍が合流した際、兵力の規模は第四軍が圧倒的であり、今後の方針を巡って張と毛が決裂した際には、張派、毛派のそれぞれが「共産党中央」を名乗る機関を樹立しました。この分裂の際には、井崗山での蜂起以来、毛沢東と行動を共にし、「朱毛」と並び称された朱徳さえ、張国涛側についています。日本語版ウィキペディアは、記事に取り上げる事項を第三者の立場から客観的に記述するようつとめるべきであり、中国現政権の御用史観をそのままなぞる場ではないと思います。--202.254.199.29 2005年6月21日 (火) 03:49 (UTC)
- --ご批判はあるかとは思いますが、毛沢東を中心に記述を進めるのは前述の通り必然であり、無理の無い形です。また、第一軍と第四軍が合流したとき・・・ですが、第四軍が合流した際、張国涛は第一軍に所属して第四軍を迎える側でした。その後、張国涛が第四軍として分裂しますが、分裂するときの第四軍と、合流したときの第四軍は別物です。
- 記事の偏向について
- 長征については第一軍が最長であり、これを中心に記述することになるのはひとつの必然であると思いますが、四川方面の第四軍も記述する必要はあるかもしれません。追加しておくことを検討します。
- 尚、張国涛については様々な評価がされていますので、別項目を立てる必要があるでしょう。
- 遵義会議について
- 長征の中に組み込んでいますが、別項目を立てる必要があると思います。たとえば、それこそ張国涛が指摘するように合法的ではなかったという側面や、或いは初期中共の最も民主的な会議であったという評価などもくみ上げることです。
「別項目を立てる」のは、それはそれで結構ですが、この項目においても、しかるべき紹介が必用です。匿名氏もおいそがしいようですから、疑問に思った諸氏がそれぞれ取り組めばいいと思います。--Dalaibaatur 2005年8月6日 (土) 07:49 (UTC)
- 長征に参加した紅軍一覧、或いは調整に参加した指導者一覧を作っておこうと思います。赤リンクが多いとは思いますが、ご容赦ください。また、本項は編集中ということにしておきますので、編集したい方は自らの信念と根拠に基づいて編集していただければよいかと思います。
[編集] 遵義会議・張国涛について
- 遵義会議についてはとりあえず項目を作りました。少しづつ書き足していきます。
- 張国涛については長征の後半で合流して紅軍が右紅軍・左紅軍に分かれるなど、様々な作用を起こしているので別項目を立てます。但し資料集めに時間がかかるのである程度集まってからです。何しろ共産党の分裂分子として迫害されているので資料が少ない。--2005年7月6日 --利用者:210.22.137.50