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長宗我部 康豊(ちょうそかべ やすとよ、生没年未詳)は江戸時代初期の人物。通称信九郎、民部。土佐の戦国大名長宗我部元親の末子にあたり、『長宗我部旧記』『古老噺』、『落穂雑談一言集』等に名前が残る。
元親晩年の子という。長宗我部氏没落後、大坂の陣の際には兄・長宗我部盛親に従うが、大坂城落城後に脱出した。
後に足立七左衛門と名乗って、酒井忠利に仕え、1500石を与えられた。子孫は5000石を賜る重臣となったという。
[編集] 関連書籍
司馬遼太郎著 『信九郎物語』(『おれは権現』講談社文庫 ISBN 4061318063 収録)