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金井 高勝(かない たかかつ ? - 慶長11年7月7日(1606年8月10日))は戦国時代の武将真田幸隆の五男。名ははじめ「信春」か。通称宮内介。兄に信綱、昌輝、昌幸、信尹。信尹を五男、高勝を四男とする説もある。
金井氏を称し、高勝(隆勝とも)と名を改めたらしいが、詳細は不明。信濃国丸子(長野県上田市)に居住し、のちに子孫は帰農したといわれる。 墓所は同所の龍顔寺(以前は「高勝寺」と呼ばれていた)。高勝の没した翌年、甥の信之が叔父の冥福を祈って寺領3貫文を寄進したという記録が寺に残っている。