都幾川村星と緑の創造センター
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ときがわ町星と緑の創造センター(ときがわまち ほし-みどり-そうぞう-)とは、旧都幾川村(現:ときがわ町)が国立天文台からロケーションの悪化や大型観測施設の稼動等によって閉鎖された、堂平観測所の譲渡を受け、天体観測施設及び宿泊施設、さらに緑地公園等を整備した施設の名称である。
目次 |
[編集] 概要
- 施設種別:天文台・観測室、宇宙・天文展示、駐車場、食事施設、宿泊施設
- 公開内容:天体観望会、展示解説、コンサート、森林体験
[編集] 堂平観測所
[編集] 歴史と沿革
1962年東京天文台堂平観測所開設。2000年国立天文台堂平観測所閉鎖。2005年ときがわ町立堂平天文台として復活。
三鷹キャンパスを初めとして、東京からの交通のアクセスがよく、かつまた、冬場の晴天率が高いため、岡山天体物理観測所と並んで、日本の天体観測をリードしてきた観測所であった。口径は小さいが、惑星観測を初め、小惑星観測、突発天体現象等の観測では多くの成果を上げてきた観測所でもある。天王星のリングの発見の際には、本観測所の望遠鏡も参加したことが知られている。設立以来、様々な観測機器が同地に設置され、数多くの天体現象の観測が行われた。
観測所の主観測装置である91センチ反射式望遠鏡は、初期にはアナログ式の追尾装置や電動追尾装置であったが、1991年には、デジタル式へと改良され、38年の長きにわたり、観測が行われ続けた。
残念なことに、都市部の郊外への膨張に伴い、空のロケーションが悪化し、大型観測施設の稼動等によって同観測所の存在意義が薄れ、国立天文台としては閉鎖を決断し、周辺地域等を近隣市町村へ譲渡することになった。周辺地域を譲渡された、旧都幾川村では、周辺地域も含めて整備を行い、2005年にアマチュア天文家のための天文台として、再オープンにいたった。
当時日本光学工業株式会社(現:株式会社Nikon)は91cm反射鏡を2枚製作した。1枚は岡山天体物理観測所の91cm反射望遠鏡にもう1枚が堂平の91cm反射望遠鏡にに設置された。
[編集] 主要観測機器
主口径91センチメートル反射式望遠鏡。
- 性能 (Nikon製)
- 主鏡口径:960ミリ
- 有効口径:914ミリ
- 焦点距離:4590ミリ
- 副鏡口径:266ミリ
- 有効口径:256ミリ
- 光学系:カセグレイン式
- 主焦点口径比:F5.05
- 合成焦点口径比:F18.22
- 架台:イギリス式赤道儀
- 同架望遠鏡1:15センチメートル屈折式 2基
- 同架望遠鏡2:20センチメートル屈折式 1基
主鏡や副鏡を精密に合わせるために電動式のアクチュエーター等を採用し、精密な天体写真の撮影が行われた。本望遠鏡の最大の目的は、写真儀としての活用であったためである。
(Note.1)現在は撤去されて存在しないが、380ミリ口径のレーザー望遠鏡も設置され、この望遠鏡はアポロ計画によって月に設置された反射器との間でレーザー光線を反射させることで、精密な月との距離測定に用いられることが目的であったが、思うような成果は得られなかった。 (Note.2)堂平観測所は主に光電観測を主目的としていたのに対して、岡山天体物理観測所は、主として分光観測等を中心に行う観測施設として開設。主口径188センチ反射式望遠鏡は、クーデ焦点によって望遠鏡の光を観測室に導き、分光観測が行われている。91センチ反射式望遠鏡は、測光観測を目的に開発されたものである。現在は、OAO-WFC(岡山天体物理観測所-広視野赤外線カメラ)として改装中。また、京都大学大学院理学系研究科附属飛騨天文台と並んで、日本屈指の光学太陽観測所としても知られている。 (Note.3)これも現在では撤去されてないが、口径50cm国産初の大型シュミットカメラも設置され、写真撮影に使われた。これらの写真や写真乾板は今でも堂平に保存・展示されている。
[編集] 天体観測関連施設
- 91センチメートル反射式望遠鏡
- 45センチメートル反射式望遠鏡
- 15センチメートル屈折式望遠鏡
- 双眼鏡
[編集] トレッキング・緑体験施設
- 教育の森
- 森林学習道
- ときがわトレッキングコース
- 林業体験施設(建設中)
- 観光農園(整備中)
[編集] 宿泊関連施設
- 観測所内宿泊施設
- 周辺地域・キャンプ施設
- ゲル(モンゴル式テント)4棟
- ログハウス
- 林業体験施設(建設中)
[編集] 所在地
〒355-0366 埼玉県比企郡ときがわ町大字大野1853番地