遠山友政
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遠山 友政(とおやま ともまさ、1556年(弘治2年)-1620年1月23日(元和5年12月19日))は、戦国時代の武将。江戸時代前期の美濃苗木藩の初代藩主。遠山友忠の子。
通称は久兵衛。三郎兵衛。はじめ父とともに織田信長に仕え、美濃苗木城を所領としていた。しかし信長の死後、東美濃の覇権をめぐって森長可と争って敗れ、徳川家康を頼って落ち延びた。その後は上野国館林藩の榊原康政のもとで厄介になっていたが、1600年の関ヶ原の戦いで家康に与して西軍の川尻氏が守る苗木城を攻撃して奪取し、旧領復帰を遂げたのである。家康からもこの功績を認められて、1万500石の所領を与えられた。
大坂冬の陣では桑名城の守備、翌年の大坂夏の陣では松平忠明に属して武功を挙げた。1619年12月19日、苗木にて死去した。享年64。家督は長男の遠山秀友が継いだ。