達身寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
達身寺(たっしんじ)は、兵庫県丹波市氷上町清住にある寺院。山号を十九山(じゅうくさん)と称する。本尊は阿弥陀如来、開基は行基と伝える。宗派は曹洞宗に属する。
達身寺は丹波地方有数の古刹であり、「丹波古刹十五ヶ寺霊場」第六番霊場になっているほか、「西国四十九薬師霊場」第二十五番札所、「氷上郡西国番外霊場」にもなっている。また、宝物殿には平安時代前期~鎌倉時代の仏像が多数納められており、「丹波の正倉院」の別名をもつ。
目次 |
[編集] 起源と歴史
伝承では8世紀に行基の開基と言うが、草創の正確な事情および中世以前の沿革は定かではない。ただし、本寺には多くの古仏を伝えることから、少なくとも平安時代前期には相当な規模の寺院であったものと思われる。創建当初は真言宗か天台宗の寺院であったと思われるが、当初の寺名は不明である。
寺伝によれば、戦国時代には僧兵を置くほどの力を持っていたが、明智光秀の丹波攻めの際、近隣の城に加勢したということで焼き討ちを受けた。僧侶は仏像を焼かせまいと山から下ろし、寺は焼かれ仏像は放置されることとなったらしい。
元禄8年(1695)当地に疫病が流行し、占った結果、仏像を放置した罪が原因だといわれたことから、村人たちが放置されていた仏像を集めて現在の地に寺を下ろし、修復した仏像を安置したということである。
正徳2年(1712)に竹雲提山和尚の発願により師である円通寺(丹波市氷上町御油)25世大奄清鑑和尚を勧請開山とし、曹洞宗として再興された。十九山の達身堂(たるみどう)を本堂としてこの地に移したため、十九山達身寺と号した。
[編集] 文化財など
阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音、兜跋(とばつ)毘沙門天、吉祥天など、80余躯の仏像が宝物殿に納められている。指定文化財としては、国指定重要文化財が12躯,県指定のものが34躯あり、「丹波の正倉院」と呼ばれる所以となっている。兜跋毘沙門天(地天女の両掌に支えられて立つ形の毘沙門天像)が16躯もあるなど、同種の仏像が多数あること、未完成の仏像があること、腹部がふくらんだ独特の様式の像(達身寺様式と呼ばれる)があることなどが注目される。
達身寺の仏像は木彫仏であって、大半が一木造りである。寄木造りの像も作られたはずだが、長い間放置されたため、破片化してしまったようである。
- 重要文化財(国指定)(4件12躯)
- 木造阿弥陀如来坐像
- 木造十一面観音菩薩坐像
- 木造薬師如来坐像
- 木造仏像(一括指定)9躯
- 木造薬師如来坐像
- 木造阿弥陀如来坐像
- 木造聖観音菩薩立像
- 木造吉祥天立像
- 木造十一面観音菩薩立像
- 木造十一面観音菩薩立像
- 木造十一面観音菩薩立像
- 木造地蔵菩薩坐像
- 木造兜跋毘沙門天立像
[編集] 丹波仏師
達身寺は工房であったのではないか、そこには丹波仏師がいて造仏していたのではないかという説もある。すなわち、達身寺は多くの仏師達の養成所だったのではないか、と考えられている。
丹波仏師がいたことを認めれば、未完成の仏像が多い、同名の仏像が多いなどの謎が解ける。また、東大寺の古文書の中に「丹波講師快慶」と記されており、彼は「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地とつながりの深い仏師である。」と言っている。とすれば鎌倉時代の仏師快慶は、達身寺から出た仏師もしくは、達身寺とつながりの深い仏師であるといえる。 残念ながら達身寺には、古文書が乏しいため、明確なことはわからない。
[編集] アクセス・その他の観光地
JR西日本福知山線石生駅または柏原駅下車。タクシーで20~25分程度。または、両駅から神姫バスの佐治ゆき(両駅とも停車する)に乗車し「成松北町」バス停で下車後、徒歩約1時間(タクシーで10分弱)。
なお、近くにカタクリの群生地があり、4月初旬が見頃である。10月上旬には、近くの休耕田を利用した「コスモス祭り」も開かれる。また、車で5分のところに、「独鈷の滝」があり、紅葉の季節は特に美しい。
[編集] 参拝料
- 300円(宝物殿)
(起源・歴史,文化財などは達身寺のパンフレットを参照した)