遊佐 秀頼(ゆさ ひでより、永正2年(1505年) - 天文23年(1554年))は遊佐続光の父で畠山氏の重臣。
能登の守護代を努めた。子の続光とともに1553年、畠山家中で権勢を誇っていた温井総貞と権力抗争を繰り広げたが敗れ、翌年に大槻・一宮の合戦で戦死。
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