辛評
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辛評(しんぴょう、165年?-204年)は、後漢末期の武将。魏に仕えた辛毗の兄。字は仲治。
豫州頴川郡の人。はじめ韓馥、次いで袁紹に仕えた。同僚の郭図や荀諶らとは同郷の出身だったために仲が良く、彼らと共に袁譚を袁紹の後継者にしようと尽力した。
袁紹の死後、袁譚に従うが、袁譚と袁尚の骨肉の争いを見て、曹操が攻め込んでくる。辛評は曹操と和解したほうが得策だと考え、弟を使者として曹操の陣へ送り込んだ。結果、和睦は認められたが、弟はその代償として曹操の家臣として留め置かれてしまった。このため、辛評があらためて曹操への使者として弟を連れ戻すためと和睦の再確認に赴いたが、そこで曹操から、和睦を認める代わりに、辛評にも自分の家臣になるように薦められた。しかし、辛評は袁譚への忠義を選んで拒絶する。
しかし、袁譚のもとへ戻ったときに弟を連れ戻していなかったため、逆に袁譚から曹操との内通を疑われてしまう。これにショックを受けた辛評は、ほどなくして病死した。